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〈大物ルーキー開幕前の重圧と不安〉高橋由伸「このままで大丈夫なのか」 松坂大輔「薄っぺらい自信」…斎藤佑樹は?
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byJIJI PRESS/Sports Graphic Number(2)
posted2022/03/16 17:01
松坂大輔、高橋由伸、斎藤佑樹。大物ルーキーと騒がれた彼らはどんな心境で開幕を迎えようとしていたのか
松坂は1999年、16勝5敗で新人王、最多勝、ベストナイン、ゴールデングラブ賞とタイトルを総なめにした。
その当時について、のちに「今思えば、プロ1年目の自信なんて、ホントに薄っぺらい自信でしかなかったですね」、「野球の本当の怖さ、先が見えていない怖さにまったく気づけていない」と語っている。ただ若さゆえの勢いが、ルーキーイヤーからの大活躍を導いたとも言えるだろう。
「プロで通用する、しないって決められるのは……」
<名言3>
自分はもうプロに来たんです。ここは日本のプロフェッショナルです。そこで通用するとか、しないって決められるのは自分だけだと思っています。
(斎藤佑樹/Number774号 2011年3月10日発売)
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◇解説◇
2011年のプロ野球界は、東日本大震災の影響で開幕が延期になるなど、異例のシーズンを迎えようとしていた。日本全体に暗いムードが立ち込める中、注目を集めていたのは斎藤だった。
早実3年時には田中将大擁する駒大苫小牧と、引き分け再試合を経た2日にわたる決勝を戦い、優勝投手に。進学した早稲田大学でも4年間エースとしての座を守り、通算31勝、323奪三振、防御率1.77の成績を残した。80年以上の歴史を持つ東京六大学野球の中で史上6人目となる「30勝300奪三振」をマークしたこともあり、2010年ドラフト会議でも注目の的に。4球団の競合指名の末、日本ハム入団が決まった。
爽やかなファイターズのユニフォームの背番号18に袖を通した斎藤。キャンプ地の名護でも注目の的だった。その練習を見るためにファンは二重・三重の列をなし、当時のエースであるダルビッシュ有らとコミュニケーションを取る姿だけでも話題となった。
人気が沸騰する一方で、専門家からは“テークバックが小さい”、“体重が踏み出した左足に乗っていかない”などの注文がつき、ルーキーイヤーから活躍できるのか懐疑的に見る向きがあった。ただそんな雑音の中でも斎藤は登板したオープン戦最初の3試合で計6イニング無失点と、地道に結果を残してきた。
「プロで自分が長生きするのか、長生きしないのかは、正直、わからないんですけど、でもいずれ、もっとよくしなくちゃいけないところや、直すべき点が何カ所かはあると思います。ただ、今はもうこれでいい」
斎藤はこのようにも語っていた。約3週間遅れとなったレギュラーシーズン開幕後、斎藤は4月17日の本拠地札幌ドーム戦でプロ初登板を飾り、5回4失点ながら初登板で初勝利をマークした。
いわゆる“飛ばないボール”の統一球時代で、極端な打低投高となったシーズンだったとはいえ、斎藤は先発ローテの一角に入り込み、6勝6敗、防御率2.69の成績を残した。その後のキャリアはケガに苦しみ続けるが――斎藤がプロ1年目を戦いきったのは事実である。
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