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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
MLB大低迷を救ったのは野茂英雄26歳だった…当時の報道から探る“フィーバー”の真相「荒廃していた野球界に旋風を起こしている」
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2022/03/11 11:03
1995年、メジャーリーグに挑戦して大旋風を巻き起こした野茂英雄
クリントン大統領でも調停失敗…異常事態のなか登場した野茂
もっとも、同年は4月3日の開幕が同月25日まで延期され、試合数も従来の162試合から144試合へと18試合少なくなったが、それは”労使調停”がまとまったからではない。ビル・クリントン大統領(当時)が自ら調停に乗り出しながらも失敗に終わり、調停人の交渉も不発に終わるなどした異常事態を収拾させるため、選手組合が4月2日にストライキを解除し、旧協定を維持することを条件に経営者側がそれを受諾したからだ。
4月25日の開幕後は各地で選手登場時にブーイングが起きたり、経営者側にも抗議するプラカードが球場に持ち込まれるなどしたそうだが、もっとも大きな影響としてあらわれたのは観客動員数の大幅な後退だった。
そこに登場したのが、野茂氏である。
5月2日、敵地サンフランシスコでのデビュー戦で、野茂氏はジャイアンツ相手に5回1安打無失点と好投。6月2日のメッツ戦で初勝利を挙げると、14日のパイレーツ戦で球団の新人最多となる16奪三振、24日のジャイアンツ戦では日本人初の完封勝利を記録した。29日のロッキーズ戦で連続完封すると、球団新記録となる4試合での50奪三振を達成。同月は50.1イニングを投げ、6勝無敗・防御率0.89、WHIP0.82の好成績を残して、日本人初の月間最優秀投手賞に選出された。
米各紙が報道した“野茂フィーバー”
その間、米各紙は活動停止でファンの信頼を失ったMLBが、日本で大々的に報じられている皮肉を、以下のように報じている。
(5月24日 ニューヨーク・タイムズ紙) 二十六歳の右腕投手の野茂が、ドラッグ、配偶者虐待、ストライキ、ロックアウトなど、俗っぽくも不愉快な醜聞にあまりにも長期間にわたってまみれ、荒廃していたベースボール界に、好奇心と興味をくすぐる爽やかな旋風を巻き起こしている。
(6月20日 セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙) 日本においてさえ、かつてベースボールに集まっていた人気は他のスポーツへ移っている。だが、19日の試合の九回に日本人の間から沸き起こった「ノーモ! ノーモ!」という声援にうかがわれるように、人気挽回の可能性が高まっている。
野茂氏は前半戦で13試合に先発し、6勝1敗、防御率1.99、WHIP1.07の好成績でオールスターゲームに初選出され、先発投手に抜擢された。
(7月4日 ロサンゼルス・タイムズ紙) ほんの数週間のうちに、野茂は日本のヒーローから、ロサンゼルスの有名人に、さらにメジャーリーグにとってボー・ジャクソン(野球とアメリカンフットボールの両スポーツで活躍した「二刀流」の元祖と言える選手)以来の格好の広告塔となった。
(7月10日 ダラス・モーニングニュース紙) 昨シーズンのストライキによって失われたファンの信頼を取り戻すためにも、オールスターゲームには目玉となる選手が必要とされる。米国の国民的娯楽が助けを求めて頼るのは、日本の大阪からやって来た二十六歳になる右腕投手である。