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野村祐輔が“がばい旋風”に飲み込まれた日、広陵・中井監督が審判を批判したワケ… 小林誠司「あの言葉はものすごく嬉しかった」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/03/19 17:04
2007年夏、野村祐輔と小林誠司のバッテリーを擁した広陵は、甲子園決勝で佐賀北に惜敗。試合後、中井哲之監督は8回のジャッジを公然と批判した
指揮官が言わなければ、選手のうちの誰かがメディアの前で不満をこぼしてしまったかもしれない。高校野球における審判批判は、タブー中のタブーだ。だが、その禁を破ってでも中井は選手を守った。
あえて審判を批判したのは、もう一つ、「間違いは間違いだ」という真っすぐな生き方を示すためでもある。「先生」として、中井の最後のレッスンだった。
小林らと別の代の有原も中井に父性を覚えていたという。
「いつも選手のことを一番に考えてくれる。全員を本当の息子のように思ってくれてるんだなと感じてました」
だから、自然と母校に足が向くのだ。
OBにとって広陵は「何があっても帰れる場所」
小林は'13年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた。しばらくして「広陵に行きたいな」と思い、岡山で用事があった帰りに母校へ立ち寄った。
全体練習が終了し、小林は中井から「ミーティングをしてやれ」と頼まれた。瞬間、「叫んだろ」と思った。スーツ姿の小林は革靴を脱いで三塁ベンチの上に上がった。そして、声の限りに叫んだ。
「広陵出身の小林誠司です! このたび、巨人からドラフト1位指名を受けました! ここで満足するのではなく、プロで活躍することが目標なので、ここで培ったものを生かしてがんばりたいと思います!」
その日の三塁ベンチ上からの景色は格別だった。
広陵が優秀な選手を輩出し続ける理由は、まずは選手の素質だろう。もちろん、恩師によってつくられた心という器の端正さと丈夫さもある。そして、もう一つ。それは、いつでも、何があっても帰れる場所の存在である。