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「主将としての優勝を諦めていない」胃がんステージ4告白の藤井直伸(30)が前を向く理由…妻・美弥さんも「ここからがまた2人の始まり」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2022/03/02 11:04
胃がんステージ4であることを自身のSNSで明かしたバレーボール日本代表の藤井直伸(写真は2021年9月アジア選手権)
今年で30歳。チームの主将を務めるレギュラーセッターで、17年に日本代表へ初選出されて以降、18年の世界選手権、19年のW杯、そして昨夏の東京五輪に出場した。
だが、この数年残した輝かしい実績とは裏腹に、振り返ればエリートとは程遠いバレーボール人生を歩んできたセッターでもある。
小学生の頃は野球少年。中学でも野球を続けたかったが、藤井が通った石巻市の大須中学校(17年閉校)は全校生徒が30人に満たず、男女ともバレーボール部しかなかったため、仕方なくバレーボールを始めた。
当時からセッターを務め、中3年時には宮城選抜にも選ばれたが、高校は卒業後の就職を考えて古川工業高に進学。消防士を目指していたが、順天堂大から誘いを受けてバレーを続ける道を選んだ。しかし、大学入学当初はなかなか出番がやってこなかった。
当時大学1年だった2011年3月11日の東日本大震災では、海から程近い石巻の実家が大きな被害を受けた。半壊した家を出た家族は仮設住宅で暮らし、仕事もままならない。「こんな状況でバレーボールなど続けられない」と、バレーボールを辞めることも考えたが、甚大な被害を受けた学生に対する大学関係者の支援を受け、競技を継続。いつも饒舌で取材時も明るい藤井が、当時を振り返る時はいつも声のトーンが1つ低くなった。
「バレーボールができるのが当たり前、とは思わなくなりましたよね。練習が終わるたび、今日も1日できました、ありがとうございました、って。大げさじゃなく、毎日バレーボールができることに感謝するようになりました」
篠田監督が語っていた「藤井の強み」
人だけでなく、運も引き寄せる。藤井にはそんな力もあった。
順天堂大を卒業後の14年に東レへ加入。ルーキーイヤーからレギュラーセッターの座をつかんだ。しかし、チームは勝てず、8チーム中7位で下位リーグとの入替戦へ回るほど苦戦を強いられていた。
結果がすべての世界で、結果が出ない。自身のプレーを見返すたび「何でこんなにヘタクソなトスしか上げられないんだ、と苦行でしかなかった」と笑うが、そのひたむきな姿勢こそが藤井の武器だった。当時のコーチで、現在は東レを率いる篠田歩監督は以前にこんなことを話していた。
「セッターとしてうまいか、すごいかと言えば全然。むしろ技術だけなら、学生のセッターのほうが藤井よりうまいかもしれない。でも、本人もそれがわかっているから『こうしてみたらどうか』『こっちのほうがいい』と言えば、素直にやる。しかも一生懸命やる。だから伸びるんです。余計なものがないから、まっさら。それが藤井の強みなんです」
高校時代からミドルブロッカーを使うトスを得意とし、東レでも隙あらば、いや、隙がなくともミドルを使う。特に1歳上の李博とのコンビは絶品で、ファンの間やチーム公式ツイッターでも“ふじいりー”とネーミングが定着するほど。東レでも代表でも共にプレーする李が「藤井がいなければ今の自分はいません」と口にするように、2人のコンビは唯一無二だった。
そろって初出場となった東京五輪でも、初戦のベネズエラ戦の決勝点は離れた位置から迷わずピュッと伸び、ドンピシャのタイミングで叩いた“ふじいりー”の完璧なBクイックで奪ったものだった。