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ロッテの“大注目ドラ1”松川虎生が生まれた2003年10月、井口監督は日本シリーズで阪神と…「城島二世」との不思議な縁とは?
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千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines
photograph byChiba Lotte Marines
posted2022/03/01 06:01
キャンプから大きな話題を集めたロッテのドラフト1位ルーキー松川虎生捕手
井口監督から城島二世の期待を込められ、背番号は「2」。そんな松川は2003年10月20日生まれである。午後6時、3194グラムだった。
03年といえば福岡ダイエーホークス(当時)と阪神タイガースがペナントレースを制して日本シリーズに駒を進めた年だ。松川の「虎生」という名前の由来は画数と共に、母方の祖父が阪神ファンであり、その年に阪神が18年ぶりの優勝をしたことからつけられている。故・星野仙一監督率いる阪神の優勝に関西方面が沸いていた年であった。
そして松川が生まれた10月20日は月曜日。18、19日と福岡ドーム(当時)で行われた日本シリーズ第1戦、第2戦はホークスが制し、その日は移動日。21日からの甲子園での3連戦に舞台を移そうとしていた日であった。
結果的に日本シリーズはホークスが制している。甲子園で阪神に3連敗を喫し、王手をかけられ福岡に戻ってきた第6戦の初回、当時ホークスに在籍していた井口監督の先制1号2ランで勢いに乗り勝利すると、逆王手をかけた第7戦でも3回に2号2ランを放つなど大活躍。また同シリーズで4本塁打5打点の大暴れをみせたのが城島だった。
ホークスの主軸を担った井口、城島が阪神相手に躍動した日本シリーズ期間中に生まれた「虎生」。なんとも不思議な縁を感じる。
原点は城島モデルのキャッチャーミット
松川にとっても城島は憧れの存在だ。とはいってもホークス時代、メジャー時代の姿ではなく帰国後の阪神タイガース在籍時。祖父に買ってもらった初めてのキャッチャーミットも城島モデルだ。
「小学校の時でしたね。軟式用でしたけど、赤くて黒い紐のミット。キャッチャーをやることになって、どんなミットがいいかなあと思いながら野球用具店に行ったのですが、店員さんに『これは城島モデルだよ』と言われて、すぐに決めました。やっぱりカッコ良かったですし、憧れていました」