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大阪桐蔭・西谷監督はなぜエースに大学進学を勧めた? 「今頃ケガをして引退していたかも」DeNAドラ2徳山壮磨が振り返る4年前の選択
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byNanae Suzuki
posted2022/02/24 11:03
ケガも経験した早稲田大での4年間を経て、いよいよプロの舞台へ足を踏み入れるDeNA徳山壮磨。すでに活躍する後輩たちにも刺激を受けているようだ
年が明けてからすぐに入寮し、新人合同自主トレがスタート。まずはプロの空気に慣れることに注力してきた。
与えられたメニューをこなしながら、自分に足りないものは何かを考え、取り組んだ。プロになったから何かを始めるというよりは、大学でやってきたことを反復練習し、自身の状態を常に見ながら周囲の話を聞く。そしてキャンプでもじっくりと体づくりに励んでいるという。
「強いストレートを投げられるかとか、変化球をコースにきっちり決められるかとか、難しすぎずシンプルに考えるようにしている。本来はもう実戦が入ってもおかしくないのに、第3クールでもじっくりやらせてもらっているのはありがたいです。DeNAは先輩みなさんが優しくて、聞いたことには丁寧に答えていただいています。山崎(康晃)さんというすごい先輩がおられるので、勉強になることばかりです」
大阪桐蔭エース、当初は「高卒でプロ」
徳山は大阪桐蔭時代、エース番号をつけ3年春のセンバツで優勝に輝いていたことは有名だろう。
2年春から頭角を現し、早くから投手陣を支えてきた。3年生になると140キロ半ばのストレートを武器にした本格派右腕として名をはせており、高3の春の時点で密かにプロ志望を打ち明けていた。
だが、西谷浩一監督の見解は徳山のそれとは異なっていた。「大学に行って、もっと実績を積んで評価されるようになってからプロに行った方がいい」と進学を勧められたのだ。
1学年下には根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)といった、当時から“翌年のドラフト上位候補”と言われていた後輩がおり、刺激された部分もあっただろう。
だが、今はその選択が間違っていなかったと断言する。