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「高校生がおるじゃないか」星野仙一が風呂場で下した大決断…高卒ルーキーの“初登板ノーヒットノーラン”が生まれるまで
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byAFLO
posted2022/02/16 11:01
1987年、近藤真市が達成した高卒ルーキー初登板&ノーヒットノーランの快挙。そのウラには星野仙一による大決断があった
「僕も先発だと言われたのは当日の練習後なんですから(笑)。そこから試合が始まるまでは時間が長く感じたのを覚えています。もう、ストライクが入るのかなというレベルで緊張しましたし。ただ、1球投げて気持ちが楽にはなりました。といっても、記録のことなんか考えるはずがない。確か当時はテレビ中継が始まるのが午後7時。それまでマウンドにいられたらなってくらいでした」
「ノーノーの伝説」を学生は知っている?
風呂場で決まった初登板。テレビに映れればいいやという、若者らしい無欲の欲。野球界の伝説の当事者が、自分たちの監督になるということを、部員たちは知っているのだろうか。
「どうかなあ。知っているのかなあ。スカウトとして訪れた高校から、入っている学生もいるんです。もっとも『オレが行ったの知っているか?』って聞いたら『知りません』なんて答えてましたけど」
現在の学生は新4年生でもほとんどが2000年生まれ。ライブでは知らなくても、動画サイトで見ていることだろう。近藤さんにとっては息子(弘基さん、29歳でドラゴンズ球団職員)より下の世代と、新たな野球人生を送ることになる。
目指すは星野&落合のハイブリッド
引退後は2003年から18年まで投手コーチを務めた。落合博満監督の下、森繁和コーチとタッグを組み、主にブルペン担当として黄金期を支えた。また、コーチをはさんで計10年間はスカウト職に従事。史上最多407セーブの岩瀬仁紀の入団に尽力するなど、目利きのスカウトマンでもあった。つまり、プロなら簡単にできることも学生だとできないということは十分に理解しているということだ。
「プロに入れたのは星野監督のおかげ。スカウトになるときも、コーチになるときも、導いてくださったのは星野さん。僕にとっては親父のような存在。闘将と呼ばれた強い気持ちを、自分も持っていこうと思っています。そして、落合監督には緻密な野球を学びました。守りをしっかりという野球を取り入れていきたい」