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格闘技PRESSBACK NUMBER
“ロシア軍最強の男”ハリトーノフがシュルトの顔面を血まみれに…「殴るというよりも破壊」カメラマンが震えた“最も凄惨な試合”の記憶
posted2023/10/06 17:25
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
2004年6月20日、さいたまスーパーアリーナ。人気絶頂期を迎えていたPRIDEで、総合格闘技(MMA)の歴史に残るイベントが行われた。怪力ファイターの強烈なパワーボムに、観客を戦慄させた現役ロシア軍人の凄惨な戦い、そして人類最強の男が浴びた「伝説のバックドロップ」――リングサイドで同大会を撮影したフォトグラファーの長尾迪氏が、当時の写真を交えながら名勝負を振り返る。(全2回の1回目/後編へ)
血まみれの顔が苦痛にゆがみ、客席から悲鳴が…
ハンマーで繰り返し殴打しているような鈍い音が、リングサイドに響いた。
現役ロシア軍人の攻撃は殴るというよりも破壊に近く、戦場で敵を制圧し殺傷するスキルのようにも思えた。男はマウントポジションから右ひざで対戦相手の左腕をロックすると、残った右腕を掴み、ガラ空きになった顔面へ何度も鉄槌を打ち下ろした。
あっという間に相手の顔面は真っ赤に染まり、右眼付近からはどす黒い流血も見られる。軍人は鼻や出血した箇所に狙いを定め、なおも冷酷に追撃を加えていく。血まみれの顔が苦痛にゆがみ、あまりの凄惨さに客席から悲鳴交じりのどよめきが起きたタイミングで、レフェリーがようやく試合を止めた。
勝者の名前は、ロシア空挺軍のパラシュート部隊に所属していたセルゲイ・ハリトーノフ。「死神落下傘」「ロシア軍最強の男」と呼ばれ、空挺軍のベレー帽を被って入場していた。
絶頂期にあったPRIDEの「神興行」
2004年、絶頂期を迎えていたPRIDEは4月から16名によるヘビー級グランプリをスタートした。見るものを戦慄させたハリトーノフと“オランダの巨人”セーム・シュルトの試合は、トーナメント2回戦として6月20日にさいたまスーパーアリーナで行われたものだ。このイベントは4月に勝ち残った8名によるヘビー級トーナメントが4試合と、ワンマッチが3試合の計7試合。10試合を超えることも珍しくないRIZINとは異なり、当時のPRIDEは一大会あたり8試合前後で行われることが多かった。