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パトリック・チャン「ユヅルが新しい世代を築いたのです」 元世界王者が“羽生結弦への敗北”を納得できるようになるまで《独占告白》
posted2022/02/10 06:01
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by
Kaoru Watanabe/JMPA
世界選手権3連覇を経てソチ五輪に臨んだチャンにとって、羽生は急速に台頭する新時代のスケーターの象徴だった。
失意の銀メダルに終わった大会後に去来した思い、そしてその4年後、平昌の舞台での気づきと感動を、チャンが明かした記事を特別にWeb公開する。《初出『Sports Graphic Number』977号(2019年5月16日)、肩書などはすべて当時》
ソチオリンピックでの羽生結弦とのライバル関係について独占取材に応じたパトリック・チャン。世界王者として挑んだソチオリンピックの大舞台で2位に終わったことはつらい思い出ではあるでしょうが――、と最初に謝罪をすると「いや、大丈夫。あれから時間がたって自分でも冷静に思い返すことができるから」と明るい声が返ってきた。
「初めてユヅルと同じ試合に出た当時のことは、正直に言えば実はあまり印象に残っていないんです。ぼくがそれまで長い間ライバルとして意識してきた選手は、ダイスケ(高橋大輔)でした。アスリートには誰でも、宿命のライバルがいるでしょう。ぼくとダイスケは、いわばテニスでいうロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのようなライバル関係だったと思います。一世代若いユヅルは、気がついたらいつの間にか最終グループに残っていた若手、というくらいの印象だったんです」
チャン「ユヅルは本当に競技者に向いていると思う」
そう語りはじめたチャンは羽生結弦より4歳年上だが、羽生と同じように早熟で、2009年に18歳と3カ月で初の世界選手権メダルを手にした。
羽生とシニアの国際大会で顔を合わせたのは2010年秋のロシア杯が初で、チャンは2位、羽生は7位。そこから2014年ソチオリンピックまで、二人が顔を合わせたのは数えるほどだ。2012年と2013年の世界選手権、2013年秋のスケートカナダとフランス杯、そして2011年、2012年とソチオリンピック直前の2013年12月のGPファイナルの7大会である。
「でもジュニアから上がってきたばかりだったユヅルが、短期間でシニアの舞台で戦うことに慣れていったのには、驚きました。2011年から2014年の間に、勢いをつけていった。彼はここ一番というときに強くて、本当に競技者に向いていると思う。おそらく自分をハングリーな状態にして、トップに行くという目標を立てたのだろうと思います」