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水着に集まる視線「胸が嫌で嫌でしかたがなかった」 女子水球代表だった成宮涼(29)が壮絶な治療の末、歌舞伎町ホストになるまで

posted2022/02/07 11:02

 
水着に集まる視線「胸が嫌で嫌でしかたがなかった」 女子水球代表だった成宮涼(29)が壮絶な治療の末、歌舞伎町ホストになるまで<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

歌舞伎町のホストクラブ「TOPDANDY V」に所属している現在の成宮涼

text by

平田裕介

平田裕介Yusuke Hirata

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

 新宿歌舞伎町のホストクラブ“TOPDANDY V”に在籍する、成宮涼(29)。
 水球元日本代表というアスリートからホストへ転身した彼だが、“女性としての性を割り当てられて生まれたが男性として生きることを希望する”FTMでもある。
 そんな成宮氏に、性別適合へ向けた治療と手術、ホストとなった経緯、今後の展望などについて、話を聞いた。(全3回の3回目/#1#2へ)。

◆◆◆

ホルモン治療と現役続行の間での葛藤

ーー大学を出てから、どれくらいの期間を置いて性別適合手術に向けて動かれたのですか。

成宮 卒業して間もなく、都内のクリニックに通い出してはいたんです。人によっては2週に1回で通ったりしますが、僕はとにかく早く進めたかったので週1で半年通いました。

 クリニックでは「自分史を書いてきて」と言われましたね。他の人や病院ではどうなのかわからないけど、僕に関しては自分目線で書いたもの、親目線で書いたものの両方が欲しいと。先生のほうで照らし合わせて、どうだったのか調べるんでしょうけど。親目線のものは、母親に書いてと頼みました。やっぱり、一番僕の面倒を見てくれてたし、こういう服が嫌いだった、好きだったとかもすべて覚えてるしなって。

ーー性同一性障害と診断されてから、すぐにホルモン治療へ?

成宮 できましたが、当時は水球をやりたい気持ちもあったので、ホルモン治療はやってませんでした。22、3歳で性同一性障害と診断されていたのに、現役を続けていたんです。で、25歳で完全に水球に見切りをつけて、ホルモン治療に移りました。その間の数年は悶々としたし、長かったですね。さっさと治療したいはずなのに、まだ現役でもいたいと、相当に葛藤しました。

 だけど、水球をやめたらやめたで、今度は燃え尽き症候群というか3カ月近く引きこもり状態になっちゃって。大好きだった水球から離れたら、もう自分にはなにもない気がしてきて。さすがにこのままじゃマズイと思って、スポーツショップの店員になって、ホルモン投与を始めましたけど。

一度始めたら一生続くホルモン投与

ーー男性ホルモンは、パッチではなく注射での投与ですか。

成宮 僕は筋肉注射で、肩かお尻に射ちました。2、3週間に1回、男性ホルモンを増加させるエナルモンデポーを125mg入れます。最初に多く投与すると、体が追いつかなくて、鬱っぽくなったり、思春期の男子の経過がズーンとくるようになってニキビだらけになってしまう。なので、最初の5回目は125mgずつ。それ以降は、3、4週間につき1回250mgに増やせるんですけど。このホルモン投与は止めてはいけなくて、月1で一生やっていきます。

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成宮涼

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