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水着に集まる視線「胸が嫌で嫌でしかたがなかった」 女子水球代表だった成宮涼(29)が壮絶な治療の末、歌舞伎町ホストになるまで 

text by

平田裕介

平田裕介Yusuke Hirata

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/02/07 11:02

水着に集まる視線「胸が嫌で嫌でしかたがなかった」 女子水球代表だった成宮涼(29)が壮絶な治療の末、歌舞伎町ホストになるまで<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

歌舞伎町のホストクラブ「TOPDANDY V」に所属している現在の成宮涼

「痛かったけど“胸がなくなった”爽快感のほうが上」

ーー手術の話に戻りますが、胸の除去は一回で終わったのですか。

成宮 術式によっては一発で終わるものもありますけど、僕はダメージの少ない術式を選んで3回に分けてやりました。1回目は中身を抜いて、2回目は乳腺を、といった具合に進めていくんですけど。それでも、胸を取った後はめちゃくちゃ痛かったですね。麻酔から目覚めたら鈍痛で。凄まじい筋肉痛とか肉離れみたいな痛さなんですね。少しでも胸筋を動かすと痛いから、腕の力のみを使って起き上がったりして。もう普通に仰向けになっているだけで痛くて、寝ていても2、3時間ごとに起きちゃう。それが1週間は続きました。

 とにかく痛かったけど、胸が無くなったという爽快感のほうが上回っていましたね。で、その1年後の27歳で、子宮と卵巣を取る手術をタイで受けたんです。

ーーそちらの技術はタイのほうが。

成宮 優れてます。2年ですべて出来た僕はスムーズなほうだと思います。なかには、5年やそれ以上掛かる人もいますから。男性から女性への戸籍も同じ27歳で変えたんですけど、申請の書類は病院で書いてタイから日本の裁判所へ送りました。

ーー裁判所に申請書を送るだけでは済まないですよね。

成宮 面談します。ホルモン注射を始めたタイミングですでに名前も変えていたんですけど、その時も面談はしましたね。もちろん診断書も必要ですし、身なりや所作もしっかり見られて。生い立ち、家族構成や家庭環境、家族の職業とか、自分の歩んできた軌跡を聞かれるんです。そして、認められて戸籍も男になりました。

両親に改めて付けてもらった名前

ーー戸籍上のお名前は。

成宮 ごんべんに東京の京で、諒。改めて両親が付けてくれたんですけど、そっちもリョウなんです。両親が僕のハンドルネームなんて知ってるわけがないので、運命を感じるというか、ほんとにびっくりしましたね。

ーー昨年の東京オリンピックは、ご覧になりました?

成宮 お店に出ている時間と放送の時間が重なっていて、指名してくれたお客さんに「水球って、ああでこうで」と教えてあげながら少しだけ観ました。知っているメンバーもいたから「がんばれー」とは思いながら観てましたけど、全敗でしたね。すごく頑張ってはいましたけど。

元水球女子日本代表がホストになったワケ

ーーホストになられたのは、涼さんのTwitterにスカウトのDMが入ったのがきっかけなんですよね。躊躇せず、ホスト業界へ飛び込む自信はあったのですか?

成宮 スポーツショップの店員の後にジムのインストラクターをやってから、バーテンダーになってたんですよ。下北沢にあるガールズバーとかボーイズバーに近い店で、指名料はないけど、ドリンクバックがあって、頑張った分だけ自分に入ってくるんですね。

 そこで売上げも呼び込みも1位だったので、これが歌舞伎町のホストクラブだったらどんなんだろうなと思ってたら、ホストクラブをやってる方がお客さんで来て「遊びに来ない?」と誘ってくれて、さらに興味が湧いて。そこへスカウトが来て、「じゃあ」ということで入ってみようと。でも、コロナの影響で去年4月に潰れちゃったので、現在のTOPDANDY Vに移りました。

【次ページ】 ホストクラブは“男”を先鋭化させた世界

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