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《センバツ出場》明秀日立の“副将兼任”女子マネージャーがスゴい! 坂本勇人の恩師が「キャプテンにしても良かった」と信頼する理由
posted2022/01/28 17:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
「田中は“支える”というよりも“戦っている”という感じですよね」
そう語るのは昨秋の関東大会を優勝し、今春のセンバツ出場を決めた茨城・明秀日立の金沢成奉監督だ。青森・光星学院(現八戸学院光星)時代に巨人・坂本勇人らを育てた名将は、隣に置く記録員の田中杏璃(3年)のことを冒頭のように評す。
その信頼度を証明するように、彼女は「マネージャー」だけでなく、「副キャプテン」も任されている。
田中が野球と関わることになったきっかけは2つ上の兄・大誠(東北福祉大)の存在が大きい。小学生時代から兄の練習に付いていくことが多かったという田中は、両親の関心が兄に集中しているように感じた。そんな時に祖父から「野球をしないか?」と誘われ、「(両親)自分を見てもらえるきっかけになるかもしれない」という動機でグローブを手にした。
野球をすることはもちろん好きだったが、何より仲間といる時間が楽しかった。中学生になると野球は観るだけのものになっていったが、「支えたい」という気持ちが芽生えるようになり、兄がプレーし、祖父が監督を務める宮城仙北ボーイズにマネージャーとして入部を決意する。グラウンド上では「おじいちゃん」ではなく「監督さん」と呼ぶなど公私をしっかり分け、誰よりもベンチから声を出すなど奮闘した。
チームも中3年夏に全国大会で4強入り。いつしかその敏腕マネージャーぶりに対する評判の声は広がり、地元の私学からも声がかかるようにまでなった。
それでも田中は、地元ではなく親元を離れ、兄と同じ茨城の明秀日立に越境留学することを決断した。