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《引退》西川周作からの確信的ごっつぁんゴール…控えめな赤嶺真吾が最後に話した“点取り屋の自負” 故郷で終えた幸せなサッカー人生
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/01/14 17:02
昨季限りで現役引退を決めた赤嶺真吾(38歳)。渡り歩いたクラブそれぞれで、ファンの記憶に残るをゴールを量産した
年俸の提示額など関係なかった。22年ぶりの帰還である。
高校から県外の鹿児島実業に進学して下宿生活を送り、大学も東京の駒澤大。プロ入りしてからはFC東京、ベガルタ仙台、ガンバ大阪、岡山と渡り歩いてきた。それでも、心はずっと沖縄にあった。
FC東京時代にサッカー専門誌のプレゼント企画用にサインと好きな言葉を色紙にお願いしたときには、太いマジックで力強く「命(ぬち)どぅ宝」と書いていた。「命こそが宝である」と。多くの沖縄の人が命を落とした戦争を知る祖母から伝え聞いた言葉である。
寒さがしみる仙台の地でも飲みに行くと泡盛を頼み、カラオケに行けば、BEGINの『島人ぬ宝』を熱唱する。シーズンオフのたびに地元に帰り、親族や仲間たちと旧交を温めてきた。
「家族、親戚一同、仲間たちに地元のスタジアムで数多くプレーを見せることができたのはよかったです。少しは沖縄に恩返しできたかなと。どこに移籍しても、団体旅行のような感じで、楽しんで応援に来てくれていましたから」
鹿実の先輩・上本大海が語る赤嶺の素顔
南国の沖縄で育まれたおっとりした性格の持ち主は、誰からも愛され、気がつけば周りに人が集まってきた。鹿児島実高の1学年先輩で、仙台で3年間一緒にプレーした上本大海も、赤嶺の人柄に引き寄せられた一人。
公式リリースの発表前に直接電話をかけてきた律儀な後輩の引退を惜しみながら、昔のことをふと思い返した。
「人懐っこくて、聞き上手でした。ピッチの内外でネガティブなことを言う人がいても、相手の意見を一度聞いてから、柔らかい口調で前向きなことを口にしていたかな。仙台では仲間に信頼され、慕われる存在でした。僕が仙台に移籍したときにすぐ馴染めたのは、真吾が事前に根回ししてくれたおかげなので」
オンとオフの切り替えは、はっきりしていた。プライベートでも人当たりは良く、仙台の街でも顔が広かったという。上本はピッチの外でもサポートしてもらったことを忘れていない。
「人付き合いがうまいんですよ。あののんびりした口調にみんな引き込まれていくから不思議。性格は高校時代から変わっていません。ただ、プレー面は変わりましたね。正直言えば、高校のときはこんな長くプロで活躍するとは思わなかったので」