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「うわー、俺、宇佐美としゃべってる」謙虚すぎるプラチナ世代・宮吉拓実 岡田武史も驚いた16歳デビューから14年目の本音
posted2022/01/14 11:02
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
KYOTO.P.S.
“京都の至宝“が泣いていた。
2021年11月28日、ジェフ千葉と引き分けて12年ぶりのJ1昇格を果たした京都サンガF.C.の宮吉拓実は、試合直後のインタビューで思わず目を潤ませた。意外にも、プロになって初めて流した嬉し涙だった。
「それまでサッカーに関して泣いたのは2回だけなんです。1度目は、2012年の元日に天皇杯決勝でFC東京に負けたとき。あの試合と、2012年と2013年のプレーオフで負けてJ1に上がれなかったことは、サッカー人生の中で一番悔しかった思い出です。
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もう1つが、2017年に2度目の右膝半月板の手術を受けたとき。以前にも同じ箇所を痛めていたので、精神的にすごくネガティブになって。『もし治らなかったら、この先どうなるんだろう』って、オペ室に入る前に泣いてしまったんですよ。今思えば、お恥ずかしい話です(苦笑)」
「すごい高校生がいるんだよ」
宮吉のプレーを初めて見たのは、14年も前のことだ。京都府城陽市のクラブハウスで当時の加藤久監督(現強化アカデミー本部長)と雑談していたとき、嬉しそうに教えてくれたことを今でもよく覚えている。
「うちにすごい高校生がいるんだよ。ミヤヨシって子でね。もうトップチームで練習している。すぐにデビューするだろうから、覚えておいた方がいいよ」
その言葉は本当だった。2008年9月21日のガンバ大阪戦、宮吉は後半27分にJデビューを果たすと、ファーストプレーで西京極のスタンドをどよめかせた。相手に囲まれながらも味方の縦パスを呼び込み、柔らかいタッチで反転。鋭いドリブルから林丈統へのスルーパスを通し、決定機を演出した。
16歳1カ月14日でのJリーグ戦出場は当時、森本貴幸に次ぐ歴代2位の年少記録となった。この試合を視察していた日本代表・岡田武史監督(当時)も、「宮吉という選手を知らなかった。すぐにA代表入りとまではいかないけど、こういう選手が出てきたのは日本サッカーにとって良いこと」と驚いていた。