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新庄剛志と別れて15年「野球選手じゃなかったら今でも…」 大河内志保50歳が告白する“アスリート妻の重圧と責任” 

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河崎環

河崎環Tamaki Kawasaki

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photograph byIchisei Hiramatsu

posted2022/01/01 11:03

新庄剛志と別れて15年「野球選手じゃなかったら今でも…」 大河内志保50歳が告白する“アスリート妻の重圧と責任”<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

野球選手・新庄剛志を15年にわたって支え続けた大河内志保(50)

「だから当時の自分はあまり好きじゃないんです。だって未熟すぎだから。女性として綺麗でいたいとか、自分はどんな人間なんだろうとか考えたことが一度もなかったし、アスリートの奥さん、裏方という役割しか考えていなくて、新庄さんのことしか一生懸命できなかった。知らないことが多すぎてただ猪突猛進している感じ。言い方を換えれば、単純なバカですよね(笑)」

 アスリートの妻という役割に邁進していたからこそ、新庄との別れを決断したとき、不安が襲った。「こんなおばさんで一人になってどうするんだろう。自分が離婚しちゃったなんて、って一瞬は思いました」。でも、すぐにその不安は消え去っていく。

「たぶんあのままずっと行ってたら、この離婚後14年の経験がなかったら、私は今も不十分ですけど、もっと不十分だったと思うんです。別れたことによって、人として必要なことが備わってきた。今ようやく、人生が分かったと思えるんです。だからこそ、このために新庄さんと別れる必要があったんだな、と今は思います」

憧れは草笛光子「私の目標は『80でも現役』ですから」

 大河内にとって、新庄剛志という才能と一緒にいたあの時代の全ての経験が財産だ。新庄の心身に付き添ってケアした知見から、いま大河内はモデルやタレントとして活躍しつつ、ライフワークとして「食」と「健康」に取り組む。「いまを全力で生きていれば、過去は上書きされていくから」。大河内の学び続ける姿勢には驚くと同時に、頭が下がる思いだ。

「久しぶりの芸能界復帰はさすがに不安でした。きっかけは、今の事務所の社長さんが『うちに戻っておいて』って声をかけてくださったことからなんですが、もともと表に出ることが得意なタイプではなかったので、『こんなおばさんでいいの? できることなんてあるのかな』って、マイナスに考えてしまっていたんです。

 でも、いま思えばそれも間違ってて、当時の30代なんてすごく若かったのに、その考え方はすごくもったいない。だって、今私は50歳ですけど、60歳ぐらいになったら『50なんて若かったのに』ってきっと思うはずなんです。今が一番輝いてると思って自信満々で生きようと。それはもう勉強になりました」

 18歳で芸能界デビューし、新庄剛志との長いパートナー生活を経て、別れを経験し、今、大河内志保は芸能界にいる。

「いろんなことを猛スピードで経験してきて、いろんな感情を持たせてもらった。それで行き着くところ、なんか開けたんですよね。ああ、人生ってこういうことだったんだ、わかった、みたいな。それが嬉しくて、毎日楽しいんです。

 でも、まだ50。私の目標は『80でも現役』ですから。憧れは草笛光子さんですね。草笛さんみたいにいつまでも輝いている人でありたい。若い時って、世の中の仕組みだとか、わからないことだらけでしたけど、これから先、いろんなことを知って理解した自分自身に、ちょっとワクワクするんです」

トライアウト挑戦、監督就任「やっぱりこの人は野球だった」

 多くの時間を過ごした元パートナーも新しい道を突き進んでいる。一昨年末にはトライアウトに挑戦。そして昨年10月末には、古巣・北海道日本ハムファイターズのBIGBOSSに電撃就任した。

【次ページ】 「どれだけ新庄さんの影響で元気にしてあげられるか」

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