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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
青学大前主将・神林勇太さん(現サッポロビール勤務)に聞いた、箱根駅伝の展開予想と“注目選手”「近藤(幸太郎)は、過去最強だと思います」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2021/12/31 17:04
青学大の前キャプテンで、現在はサッポロビールに勤める神林勇太さん。2020年の箱根駅伝で9区区間賞を受賞した
――結果的に最後の駅伝になった全日本はすごい気迫でした。
「6区の山内(健登)が1年生で初めて走る駅伝だったんですが、うまく走れなくて襷を受けた時は6番でした。このままだと山内は、自分が1年の時と同じ思いをするなって思ったんです。そんな思いをさせたくなかったですし、チームが優勝してしまえば笑い話で済む。その思いが区間賞の走りに繋がったので、やっぱり1年目の出雲駅伝が自分の原点になっていますね」
3年生時、箱根を走るまでの“苦闘”
神林さんが一生忘れられないと語った箱根駅伝は、9区で後続の東海大に3分以上の差をつけ、アンカーの湯原慶吾に襷を渡した。神林さんは9区区間賞を獲得し、この時点で青学大の優勝はほぼ確実になった。だが、実は直前まで箱根を走れるかどうか微妙なポジションにいた。
――3年の時は、箱根に出走するまで大変だったと聞いています。
「そうですね(苦笑)。ニュージーランド留学から帰国後、コンディションはよかったのですが、自転車で事故して靭帯を痛めてしまって。それでもなんとか2カ月で回復させて、出雲駅伝で4区区間新を出せました。『これはいける』と思った矢先、全日本で失敗(3区9位)したんです」
――なぜ、失敗をしたのですか?
「それが原因がよく分からなかったんです。監督にも『なんで、あんなに走れなかったんだ』と言われて、箱根が遠のいたなって思いました。次の学連の記録会(1万m)でも失敗して、いよいよ箱根はダメだなって思って、レース後、ダウンもせずに不貞腐れていたんです。そうしたら吉田に『おまえ、やることをしっかりやれよ。チームにそんな空気持ってくるんじゃねぇよ』って怒られて……。最後まで諦めずにやろうと改心したら、(11月の)富津合宿から調子が上がっていったんです」
――最終的に9区を走ることを言われたのは、いつだったのですか?
「(12月)29日ぐらいだったと思います。例年、往路と6区、7区、8区までは早い段階で決まるんですけど、9区、10区は“イケる”選手が指名される感じで。選ばれた時はやっぱり嬉しかったですね。同時に全日本みたいに失敗したらどうしようって、責任の重さを感じました。レース当日も東海と優勝を争っている状態できたので、『もっとぶっちぎって来てくれよ、これでブレーキしたら負けるぞ』とビクビクしていました(苦笑)。でも、最後は自分の区間で優勝を決められたので、すごく自信になりましたね」