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「戦いがないと生きていけない」林下詩美を追って柔道からプロレスに転身…“闘争心の塊”舞華が「もっと私を見ろよ!」と叫ぶワケ 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2021/12/27 17:05

「戦いがないと生きていけない」林下詩美を追って柔道からプロレスに転身…“闘争心の塊”舞華が「もっと私を見ろよ!」と叫ぶワケ<Number Web> photograph by Essei Hara

赤いベルトの女王・林下詩美をライバル視する舞華。ともに九州出身で、柔道という同じルーツを持つ

 テレビを通じて一方的に知っていただけだが、舞華には不思議なライバル心が芽生えていた。

「同じ九州なので、合宿とか行くと(林下の)お兄ちゃんがいるんですよ。九州大会でも『ああ、ビッグダディいるよ』みたいな。そこには林下詩美はいなかったけど、ビッグダディは有名だったので」

 林下詩美がプロレスでデビューしたことを知って焦った。その存在が舞華の背中を押した。柔道で望むような結果を残せなかったこともあって、会社に退職届を出し、上京して、千葉のJTO合宿場での生活が始まった。

「朝から晩まで営業に行く日もあるし、グッズも任された。チケットも手売りしました。プロレス以外の悩みもあったので、しんどかったですね。同期は16歳だったので私が面倒を見てあげるしかなくて、ごはんを作ってあげて、師匠が新日本プロレスに上がっていた頃は送り迎えもやって。福岡から来たので東京の道はわからない。都会の道路が怖くて、ビクビクしながら運転していました」

 そんなJTO時代も、今では懐かしい思い出だ。

「スターダム以外のところはみんなそうじゃないですか。ジュリアの話を聞くと、同じような感じなんです。それでも私は先輩がいないから伸び伸びできました。ある意味で環境はよかったのかなと思います」

母親から心配の電話「あんた何やってんの?」

「JTOでデビューした直後、キャリアも全然ないときにスターダムに呼びかけて『やらせろ!』ってやっちゃいました。当時はめちゃくちゃ批判されて、横浜の赤レンガ倉庫で黄昏れたりして……」

 そんなとき、母親から電話があった。

「あんた何やってんの、大丈夫? って心配されました。わかってるから言わないで、みたいな(笑)。本当はその9月に(林下詩美と)やる予定だったのに、アイツが骨折してできなかったので、サリーさんとやることになりました」

 JTO時代はTAKAが対戦相手を選んで試合を組んでくれていた。デビュー戦は下田美馬だった。朱里や花月とも試合が組まれた。

「師匠は『こいつならできる』と思ってくれていたようですが、直接は言ってくれないんですよ。自信はないけど、負けたくない、と思って突っ走ってきました」

 TAKAは受け身には厳しかったという。しかし柔道と異なるプロレスの受け身を、舞華はいち早く自分のものにしていた。

「JTOからスターダムへの移籍は大円満でした。他団体参戦で半年やっていたので、『そろそろだよね』って師匠も言ってくれました」

【次ページ】 プライベートでも「プロレスから離れられない(笑)」

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