濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER

上谷沙弥「アイドルへの未練はなくなった」 元バイトAKBがスターダムで“本物のプロレスラー”になるまで《特別グラビア》

posted2021/12/28 17:15

 
上谷沙弥「アイドルへの未練はなくなった」 元バイトAKBがスターダムで“本物のプロレスラー”になるまで《特別グラビア》<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

両国大会では中野たむのワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦する上谷沙弥

text by

橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

12月29日の女子プロレス・スターダム両国大会にて、ワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦する上谷沙弥選手の特別グラビアインタビューをお届けします。《王者・中野たむ編はこちら》

 2021年、スターダムの女子プロレスラー・上谷沙弥は東京ドームとメットライフドーム(西武ドーム)で勝利を収め、日本武道館で団体最高峰のベルトに挑戦した。シングルトーナメントでは優勝。2019年デビュー、まだ“新人”の範疇でこの活躍は破格だ。

「スターダム提供試合で新日本プロレスさんの東京ドーム大会に出させていただいたのが1月。3月に日本武道館で赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム)に挑戦して、6月がシンデレラ・トーナメント優勝。白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム)にも挑戦して。新日本さんのメットライフドームでの提供試合が9月。1年中、何か大きな試合があった感覚です」

「初めてのドーム」はEXILEのバックダンサーとして

 2つのドーム大会では、フェニックス・スプラッシュを決めて新日本プロレスファンを驚かせた。飯伏幸太も得意とする、難易度の高い空中殺法。上谷には、女子でこの技を使うのは自分1人だというプライドもある。

「ドームでの試合がきっかけで、スターダムに興味を持った、スターダムを見にくるようになったというファンの方もたくさんいます。私がスターダムを広めるきっかけになれた。それが凄く嬉しいです。デビュー2年目、3年目としては自分でも予想してなかったくらい飛躍できたと思います。まさか、自分がプロレスラーとして東京ドームに出るとは思ってなかった」

 “プロレスラーとして”と言うのには理由がある。上谷は以前にも東京ドームの大舞台を経験しているのだ。高校生の時、EXILEのライブでバックダンサーを務めた。LDHのダンススクールに所属していたのだ。ちなみにドームでプロレスやライブを見たことはないという。ドームには「出たことしかない」というのも珍しい。

「ダンスは小学生から始めて、どんどんのめり込みました。ストリートダンスの世界大会に出たこともあります。ただ高校生になると“バックダンサーじゃなく前に出たい、自分が主役になりたい”という気持ちになって」 

バイトAKB卒業後にぶつかった壁「私はアイドルの真逆だった」

 アイドルを目指すのは自然な流れだったのかもしれない。上谷の中学・高校時代は、AKB48が大ブレイクした時期。たとえば『ヘビーローテーション』あたりが世代として“どストライク”だ。

 2014年、『バイトAKB』のメンバーとして採用される。アルバイト求人情報サイトとのタイアップ企画で、バイト(非正規)で期限を決めてAKBとして活動するというものだ。ライブやイベント、正規メンバーの“お手伝い”的な仕事などを務め、翌年に卒業。それ以降もAKB関連のオーディションを「受けまくりました」。

 やがて20歳が近づき、焦りも出てきた。範囲を広げてAKB以外にもさまざまなオーディションを受ける。だがことごとく「落ちまくりました(苦笑)」。当時は無我夢中で気づかなかったが、後になって「自分はアイドルに向いてなかったんじゃないか」と思うようになった。

「アイドルになる子って、本当に華奢で小さいんです。私は背丈もあるし(168cm)、ダンスをやっていたので筋肉もついていた。そのダンスも本格的にやっていたので......アイドルって拙い、未完成くらいのほうがファンとしては応援したくなるんですよね。しっかりしてないところも含めてアイドルの魅力。私はすべてにおいてアイドルの真逆だったんです」

【次ページ】 中野たむから誘われたプロレスの世界

1 2 3 4 NEXT
上谷沙弥
スターダム
中野たむ

プロレスの前後の記事

ページトップ