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「戦いがないと生きていけない」林下詩美を追って柔道からプロレスに転身…“闘争心の塊”舞華が「もっと私を見ろよ!」と叫ぶワケ

posted2021/12/27 17:05

 
「戦いがないと生きていけない」林下詩美を追って柔道からプロレスに転身…“闘争心の塊”舞華が「もっと私を見ろよ!」と叫ぶワケ<Number Web> photograph by Essei Hara

赤いベルトの女王・林下詩美をライバル視する舞華。ともに九州出身で、柔道という同じルーツを持つ

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

女子プロレス「スターダム」でアーティスト・オブ・スターダム王座のタイトルを持つ舞華選手のインタビューをお送りします。(林下詩美編はこちら

「生まれたときから体重が4キロあって、体は大きかったですね。力があり余っていた。駐車場のコンクリートブロックを持ち上げて、割って遊んでケガしていました」

 女子プロレス団体のスターダムで活躍する舞華は、自身の幼少期をこう振り返る。小学校に上がると、男子と取っ組み合いのケンカをするようになった。戦績は勝つか、最低でも引き分け。男の子は泣いていたが、舞華は先生に怒られても決して泣かなかったという。ある日、学校から家に帰ってくると、習いごとのパンフレットが並んでいた。柔道、剣道、少林寺拳法、サッカー……。

「この中から選んで、って言われたんです。親は暴れまわる私を見て、発散できる場所を提供してくれたんだと思う。何かさせないと、学校で暴れるから(笑)」

 そして選んだのが柔道だった。一緒にやってくれる女の子がいたので「とりあえずやってみるか」と柔道を始めた。

 母が常々「女の子には優しくしなさい」と言っていた。舞華はその言葉を守って、女の子とはケンカはしなかった。むしろ、女の子を守るために戦っていた。

「すごく負けず嫌いだったんで、柔道は私の中にヒットしたんでしょうね。体と体の勝負だし。でも女の子がどんどんやめていって、一緒に入った子もやめて、女子は私一人になった。小学生の教室なのに、筋トレがえげつなかったんです。中学、高校、実業団とやってきたんですけど、いま振り返ってみても小学校の時の筋トレが一番きつかった。男子も吐きながらやっていた。筋肉痛で体が動かないこともありました」

 それでも舞華は柔道をやめなかった。

「こんな練習やっているから、先生もどうせやめていくと思っていたんでしょうね。6年生の送別会のとき『中学校でも柔道頑張ります』って言ったら、先生が『ええっ! お前続けるの。それだったらもっといろいろ教えてやったのに』って(笑)。中学で県大会レベルになって、高校も強豪校に進学しました」

プロレス行きの背中を押した林下詩美の存在

「InstagramにTAKAさん(TAKAみちのく)から『レスラーになりませんか』と連絡が届いていた。師匠のSNSでの新人発掘力はすごいです。『柔道全国大会』というのが検索にヒットしたんでしょうね。それでDMが来るようになった」

 高校卒業後、実業団に所属して柔道を続けていた舞華。Instagramで「今日はこの会場で全国大会に出場します」と発信していたのが、プロレス団体JTO(JUST TAP OUT)の代表TAKAみちのくの目にとまったようだ。そのころ、柔道選手として行き詰まりを感じていた舞華を刺激したのは、現在スターダムで赤いベルトを巻く林下詩美だった。

「テレビ番組の『痛快!ビッグダディ』を見て、三女の詩美を初めて知りました。当時は『ああ、柔道やっているんだ。私と一緒だ』という軽い気持ちでした」

【次ページ】 母親から心配の電話「あんた何やってんの?」

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