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高校時代の新庄剛志“伝説”…西短付“同期生”が明かす32年前「120m大遠投でバックスクリーンを壊した」「寮の部屋が驚くほどキレイだった」
posted2021/12/23 17:05
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Sankei Shimbun
新庄剛志監督の母校・西日本短大付属高校(以下、西短付)は、福岡県でも南部の、熊本県に近い「八女」という町にある。
八女と書いて「やめ」と読む。やさしい響きの通りの、のどかな田園とゆるやかな丘陵に名産「八女茶」の畑がつづくノンビリした土地で、新庄剛志が多感な高校生の3年間を過ごしたのか……と思うと、今の華やかなイメージからはちょっとかけ離れていて興味深い。
西短付で野球部の指導にあたって、来年で20年目になる西村慎太郎監督とは、もう15年ぐらいのお付き合いになるから、グラウンドにも何度もうかがっている。
「ウチのグラウンドは両翼90mぐらいあるんです。僕ら、まずそのフェンスに当てるぐらい投げられるようにって、遠投をやるんですけど、新庄は高1で、もう左中間のネットも越えてしまうんですね。そんならセンター方向ならどうじゃって投げたら……120mぐらいあるんですけど、ダイレクトでバックスクリーンにバッコーン!って当たって。それがあれですよ、木製のバックスクリーンの上のほうが割れてるでしょ」
どれどれ……と目を凝らしたら、確かに横長の木製バックスクリーンの右上のほうが、障子が破けるように一部破損している。
「山なりのボールじゃ、ああはなりません。ガッシャーン!って、すごい音しましたから。ホームベースの所から投げたボールが、伸びて伸びて、伸びっぱなしで、すごい勢いでバックスクリーン突き破ったんでしょうね、きっと」
「新庄のバックサードが怖かった」
西村監督は、新庄と同じ1987年4月、西短付に入学し、3年間をチームメイトとして、共に汗を流した同期生である。
「とにかく高1の最初から、身体能力は突き抜けてましたからね。私、訊いたんですよ。『ポジションどこ?』って。外野って言うから、ホッとしましたね。もしサードって言われたら、どうするんですか、私」
新庄選手が外野手だったおかげで、西村監督は高校在学中、強打の三塁手として活躍することになる。