濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
父・橋本真也の死、火葬場で決意した橋本大地のプロレス人生「たぶん喜んでくれてる」《10周年大会で闘魂三銃士の技も》
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/12/19 17:06
自身のデビュー10周年大会のメインにて野村卓矢と対戦した橋本大地
野村の大地への思い「大きい十字架のようなものを背負って…」
強い橋本大地に勝つことで、野村は輝いた。勝つだけではなく負けることで“意味”が生まれるのもキャリアのある選手、トップ選手ならでは。すでにそういうところに大地はいる。
「ワガママでも強くなろうとしていろんなとこ転々として。俺もワガママなレスラーになりたい。いつまでも俺が尊敬する橋本大地でいてください」
試合後のチャンピオンは言った。インタビュースペースではこう付け加えた。
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「大きい十字架のようなものを背負って……本人は意識してない、気にしてないと言ってたにしても、周りからはお父さんと比べられる、いろいろ言われる。それでも自分を貫いて今がある。カッコいいですよ。レスラーの中で生き方を一番リスペクトしてます」
大地「たぶん喜んでくれてると思います」
今日は大地さんの10周年だから、とマイクを渡された大地は、父への言葉から始めた。
「やっとここまで来ました。もしかしたら怒られるかもしれない。反面、喜んでくれてるかもしれない。僕は“プロレスラー・橋本真也”に接したことがないから分からないけど、たぶん喜んでくれてると思います」
橋本真也の息子であることに対しても、大地には構えたところがない。「自分は自分」を意識しすぎてかえって窮屈になってもおかしくなかったはずだが。
きっと大日本プロレスという場所がよかったんだろうと彼は考えている。変な意味ではなく(父が作った)ZERO1にいたら「“橋本真也”が抜けてなかったでしょうね」と大地。
「今日は負けたけど凄く楽しかった。それは相手が野村卓矢だから。10周年をこの団体で迎えられてよかった」
また大地は野村を「俺が動けない場面でもアイツは動く。やっぱりチャンピオンは凄い。俺もあの領域に2回いたってことですよね」と讃えた。
目指すベルトがあり、今それを持つ後輩は自分に勝つほど強くなった。大日本プロレスはインディーだから、大会が終われば選手総出で撤収作業をする。
「大日本プロレスは自分が自分でいられる団体です」(大地)
橋本大地が歩んだ「10年間」の重み
記念大会の開催は12月になったが、デビュー自体は3月。だから「厳密に言うと、もうすぐ11周年なんですよ」とも。今後は12周年に向けて頑張るという。
リングでの「やっとここまで来ました」はデビュー戦と同じセリフだった。だが本人が思ったほどには観客からの反応がなかった。
「(10年前のことは)大日本のお客さんは知らないですかね。でも、そういう団体だからよかったのかもしれないですね」
筆者は以前、ある若い選手が橋本真也のことを「橋本大地選手のお父さん」と説明するのを見たことがある。その選手は大地を先に知ったのだろう。もうそういう時代だ。それが“10年選手”ということだ。そしてその10年を無駄にしてこなかったことを、大地は今回の野村戦で示した。それくらい鮮烈で“ストロング”なタイトルマッチだった。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。