濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
父・橋本真也の死、火葬場で決意した橋本大地のプロレス人生「たぶん喜んでくれてる」《10周年大会で闘魂三銃士の技も》
posted2021/12/19 17:06
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
「10周年ですよみなさん、ビックリしちゃいますよね」
表情も口調もあくまでフランク、構えたところがまったくなかった。12月12日、大日本プロレス後楽園ホール大会のインタビュースペース。この日は橋本大地のデビュー10周年記念興行だった。冒頭の言葉の主はもちろん、大会の主役である大地だ。
名レスラー、橋本真也が40歳の若さで亡くなったのが2005年のこと。長男である大地がプロレスラーの道を「継がなきゃ」という使命感に駆られたのは火葬場だったという。
プレデビューのエキシビションマッチをキックボクシングルールで行なったのが2009年。さらに練習生期間を経て、2011年3月6日のZERO1両国国技館大会でプロレスデビューを果たした。当時、大地は高校3年生。卒業式が10日で、その翌日に東日本大震災があった。
“デビュー戦の相手は蝶野正洋”特別扱いをどう受け止めたか
デビュー戦の舞台は、父が設立した団体の10周年記念大会。対戦相手は父とともに闘魂三銃士で一世を風靡した蝶野正洋だ。2戦目は全日本プロレスの両国大会。やはり三銃士の武藤敬司と当たった。プロレスを教えてくれた大谷晋二郎と組み、ビッグバン・ベイダー親子と闘ったのもデビューした月のこと。何もかもが破格だった。
言い替えるなら特別扱い。意地悪な目で見るまでもなく“七光り”はあった。本人としては、期待も偏見も受け止めた上で頑張るしかなかった。父が“破壊王”橋本真也であることは変えられないし、大地にとって「お父さんの仕事」といったらリングで闘うことだった。周りから見たら特殊な環境も、大地には普通のことなのだ。
初勝利のフィニッシュは、蝶野から伝授されたSTF。武藤の必殺技シャイニング・ウィザードも使う。父が得意としたDDTも。そして同時に、自分の道を模索してもいた。ZERO1を退団するとアントニオ猪木のIGFへ。レスリング、ボクシングなど“格闘技系”の練習に取り組み、K-1ファイターとして知られるジェロム・レ・バンナに勝ったこともある。
IGFと並行して出場していた大日本プロレスには、2016年の1月1日付けで入団。ここでは父ゆかりのベテランではなく、同世代や後輩のライバルと思う存分しのぎを削った。
デスマッチで知られる大日本だが、通常ルールの「ストロングBJ」部門も人気を博している。関本大介、岡林裕二の2トップは他団体でも活躍。パワフルな真っ向勝負が売り物だ。大地はこれまでに2度、シングル王座ストロングヘビー級のチャンピオンに。神谷英慶との「大神」でタッグベルトも巻いた。
デビュー10周年大会では野村卓矢と対戦
デビュー10周年大会のメインでは、ストロングヘビー級王座に挑戦した。チャンピオンは後輩の野村卓矢だった。
野村は9月に待望のストロングヘビー初戴冠。ストロングBJ最強を掲げて“強さ”を前面に押し出すプロレスで光を放っている。殴る蹴る、グラウンドでの関節技に最後はドラゴンスープレックス。シンプルで説得力のあるプロレスと言ってもいい。