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ビッグボス新庄が野村克也を「プロ野球のお父さん」と慕った理由…タイガース暗黒時代、“知将と宇宙人”が過ごした2年間を振り返る
posted2021/12/13 17:01
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
JIJI PRESS
12月11日、快晴の神宮球場で「野村克也さんをしのぶ会」が開かれた。昨年2月に他界してからコロナ禍のために延期されていたもので、選手、監督として在籍した6球団が共同発起人となった。約600人の参列者の中には、8人の現役監督がいた。もちろん「ビッグボス」こと日本ハムの新庄剛志監督も駆けつけた。
「僕が監督になったと知ったら、ビックリするでしょうね。でも、逆に面白いと。『ワシの考えプラスおまえの宇宙人的な考えがミックスされたら、もしかして面白いチームになるんじゃないか』と言ってくれると思います」
ビッグボスなりのドレスコードやマナーがある。誰もが祭壇にそっと置く献花では、黙祷の後、ポンと奥に投げ入れた。グレーのジャケットに黒のタートルネックを合わせていたが、これは形見のベルサーチ。この日のためにサイズを直してきた。
投手に挑戦、敬遠球サヨナラ打…野村&新庄の“2年間”
「プロ野球のお父さん」――。ビッグボスは野村さんのことをこう呼んだ。ただし、正式な師弟関係という意味では、1999、2000年のわずか2シーズンだけだった。ときは猛虎の暗黒時代。ヤクルトで栄耀栄華を思うままにした知将ですら、ブラックホールに飲み込まれていた。
夫人の脱税事件に巻き込まれ、追われるように去ることになる01年も含め、3年連続最下位。その3年目にビッグボスはどこにいたかと言えば、止める「お父さん」を置いて、取ったばかりのFA権を迷わず行使。大型契約を提示したタイガースではなく、メジャー最低保証額の20万ドルのメッツを選んだ。ニューヨークでベースボールを“たのシンジョー”していたのである。
野村と新庄。知将と宇宙人。世界の両極端にいそうな2人が、ともに過ごしたこの2年間に、何があったのか。「投手をやらせ」「敬遠球をかっ飛ばした」のである。