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ビッグボス新庄が野村克也を「プロ野球のお父さん」と慕った理由…タイガース暗黒時代、“知将と宇宙人”が過ごした2年間を振り返る 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/12/13 17:01

ビッグボス新庄が野村克也を「プロ野球のお父さん」と慕った理由…タイガース暗黒時代、“知将と宇宙人”が過ごした2年間を振り返る<Number Web> photograph by JIJI PRESS

「プロ野球のお父さん」。ビッグボスは野村さんのことをこう呼んだ。野村と新庄がともに過ごした2年間に何があったのか――

野村克也が「投手をやれ」と命じた理由

 しのぶ会で献花を投げ入れたのはなぜか。ビッグボスは語る。「オレ、二刀流もしたから、(捕手だった)野村さんに受けてもらいたかった」。99年春。阪神の監督に就任したばかりの野村さんは、新庄に「投手をやれ」と命じた。たしかに強肩。球は速い。しかし、ビッグボスの投手歴は小学校のソフトボールチームで途絶えているのだ。単なる話題作りか? そんな声も飛んでいたが、ノムラの考えは違った。生前の著書『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)で新庄に宛てた手紙の中でこう書いている。

《初めはキャッチャーをやらせてみようと思ったのだが、かなり嫌そうだったな。「どのポジションをやりたいんだ?」と聞いたら案の定、「そりゃ、ピッチャーですよ」と言った。(中略)俺には俺の考えがあった。お前に「配球とは何か」知ってほしかった。そしてピッチャーの立場に立って、バッター(つまり、お前自身のことだ)を知ってもらいたかった》

 要するに投手でも捕手でもどちらでも良かったし、どちらにする気もなかったのだ。かといって、断じて話題作りではない。人を見て法を説け。南海での兼任監督時代から、一癖ある選手の扱いには慣れていた。

《もっとアタマを使う習慣があったら、長嶋茂雄どころではない。長嶋をも超える、最強の選手になっていたかもしれない》(前掲書から抜粋)

 新庄がもてあましていた抜群の身体能力を見た野村さんは、自尊心をくすぐることこそが、この選手の成長促進剤になることにも気づいていた。

 抑える側にとって、どんな打者が嫌で、どんな打者は楽なのか。投手心理を学んでほしかった。新庄を一流打者に育てるのが目的で、投手挑戦はその手段。これは大谷翔平が登場する14年前のこと。新庄の二刀流は、キャンプとオープン戦2試合の登板でピリオドが打たれた。

【次ページ】 “敬遠球サヨナラ打”の真実

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