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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
<バロンドール候補>「テクニックはすべて母から伝授された」CL、EURO二冠のUEFA欧州最優秀選手・ジョルジーニョが明かす過酷な少年時代
posted2021/11/28 17:01
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph by
L’Équipe
2021年のバロンドール受賞者は、11月29日に発表される。昨年はコロナ禍のために1956年の創設以来はじめて表彰はなし。2年ぶりの再開だが、空白の影響は投票結果にも表れるように思われる。
『フランス・フットボール』誌11月13日発売号では、候補者のひとりであるジョルジーニョこと、ジョルジ・ルイス・フレーロ・フィーリョのインタビューを掲載している。コレクティブなパフォーマンスとチームへの貢献度(=獲得したタイトル。CL優勝とEURO優勝)では文句のつけようがない。UEFA欧州最優秀選手賞では、ケビン・デブライネ、エンゴロ・カンテらを僅差で破り初受賞したのもうなずける。
だが、バロンドールは、ただでさえディフェンスの選手は受賞が難しいのに加え、ボランチの選手が選ばれたことはこれまで一度もない。結果を見なければわからないが、FF誌があえて発表前にインタビューを掲載するのは、彼が選ばれなかったからと勘繰ることもできる(それでいえば同じくインタビューが掲載されたデブライネも同様だが)。
ブラジルに生まれ、15歳でイタリアに渡ったジョルジーニョが、今日に至るまでの紆余曲折の半生を振り返った。前後2回に分けてお届けするインタビューの、まずは前編から。(全2回の1回目/#2に続く・肩書や年齢などは『フランス・フットボール』誌掲載当時のままです)
(田村修一)
僕のデビュー
15歳でイタリアに向けて旅立つ前に、僕はブラジルでもいろいろトライした。サンパウロFCとパルメイラス、インテル(インテルナシオナル・ポルトアレグレ)のテストを受けたがどれも不合格だった。それで生まれた街のインビトゥーバに戻って地元のクラブでプレーした。そこでローカルな大会に参加したら、イタリア人の代理人が僕に目をつけた。若いブラジル人を育成してヨーロッパに送り出すサッカースクールを作ることを彼は考えていた。僕の街からも何人かをピックアップして、200km離れたグアビルーバに創設されたアカデミーに僕らを送り込んだ。