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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
<バロンドール候補>「テクニックはすべて母から伝授された」CL、EURO二冠のUEFA欧州最優秀選手・ジョルジーニョが明かす過酷な少年時代
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/11/28 17:01
ナポリからの移籍先チェルシーでもボランチとして活躍するジョルジーニョ。2020−21シーズンに挙げた7得点は、すべてPKによるものだった
そこで2年を過ごした。僕のこれまでの人生で、最も厳しいときだった。ただ、いい思い出もたくさんある。状況は不安定だったけど、僕はそこで成長することができた。毎日、同じものばかりを食べていた。肉を煮込んだシチューだ。冬になるとシャワーからお湯がでないこともよくあった。大部屋に50人が一緒に寝泊まりしていた。まるで軍隊だよ。
15歳になると、その代理人が僕と数人の仲間を選んでイタリアに送り込んだ。アカデミーはそれから2~3年後に閉鎖された。僕は運に恵まれた。プロジェクトを画策し実現した人たちには心から感謝している。今日の僕があるのも、彼らがいたからだからね。
僕の旅立ち
それは2007年11月27日で、僕は15歳だった。その日のことは絶対に忘れない。ベローナに向かう飛行機のなかで、両親や友人たちと別れて僕はひとりだった。不安はまったくなかった。当時の僕は、これから行く先に何が待ち受けているのかを何も理解していない子供だった。この冒険が危険を伴うものであることに考えが及ばなかった。イタリアでサッカー選手になれるという期待しかなかった。飛行機に乗っていたのは、自らの夢をかなえたいと願っているひとりの少年だった。
僕の両親
母(マリアテレザ)はずっとサッカーをプレーしていた。彼女が僕を育てた。ビーチで僕にボールを蹴らせてアドバイスを与えてくれた。僕のテクニックは、ほとんどすべてが母から伝授されたものだ。ずっと裸足でプレーして、それがボールに触れる感覚を養った。それからフットサルでもプレーして、狭いスペースに入っていくスピードを高めるうえでとても役に立った。
母からは気持ちの強さも受け継いだと思う。才能に溢れた若者は周囲にたくさんいたが、多くはプロになる前に辞めていった。親と離れて彼らは毎晩泣いていた。僕も同じだったけど、忍耐強く意志が強固だったことが、僕と彼らの違いだった。