- #1
- #2
フランス・フットボール通信BACK NUMBER
<バロンドール候補>「テクニックはすべて母から伝授された」CL、EURO二冠のUEFA欧州最優秀選手・ジョルジーニョが明かす過酷な少年時代
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/11/28 17:01
ナポリからの移籍先チェルシーでもボランチとして活躍するジョルジーニョ。2020−21シーズンに挙げた7得点は、すべてPKによるものだった
僕のチャンス
2010年にサンボニファチェーゼにレンタルで移籍したときに、僕の夢が具現化しはじめた。19歳で4部リーグを経験したところから、理想的にジャンプアップしていった。いいシーズンを過ごしたけれども、ベローナに戻ったときにクラブはセリエBに昇格し、首脳たちは僕がセリエBのレベルにないと判断した。今度はセリエCにレンタルされかけたが、僕はチャンスを逃さなかった。バーリでの試合で、展開は劇的だった。レギュラーの選手が出場停止になり、代わってスタメン出場したサブの選手もハーフタイム直前に腿を負傷してしまった。ベンチに座っていた僕は、こう呟きながら思わず祈り始めた。
「コーチ、今だ。僕にチャンスをくれ!」と。
監督のアンドレア・マンドルリーニはベンチの中を振り返り、交代要員は僕しかいないことを確認したとき、「くそっ、最悪だ!」と呟いたのをよく覚えている(笑)。それでも彼は僕を出場させた。僕は無難にプレーしたけれどもそれ以上ではなかった。
その後のエンポリ戦(3対1でエラスの勝利)でも彼は僕をスタメンで起用した。そこで僕は得点とアシストをひとつずつ決めてマンオブザマッチに選ばれた。ようやく一人前の選手として認められたわけだ。
翌年にエラスはセリエAに昇格し、フィオレンティーナからイタリア代表FWのルカ・トーニを獲得した。彼がクラブに光を灯すだろうと思った。とても興奮した。
「ワオー、こんな凄いことはない。僕は正しい道を歩んでいる」
彼が加入したことで、僕は自分の前に道が開けたことを実感できた。 (後編につづく)