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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
「イタリアには背を向けられない」バロンドール候補のMFジョルジーニョが母国ブラジルでなくイタリア代表を選択したわけ
posted2021/11/28 17:02
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph by
L’Équipe
エリック・フロジオ記者によるジョルジーニョこと、ジョルジ・ルイス・フレーロ・フィーリョへのインタビュー後編である。
ジョルジーニョが能力を開花させるのは、エラス・ベローナからナポリに移籍してからである。当初の監督はラファエル・ベニテス。だが、ベニテスとの2年目のシーズンを怪我のため不本意なまま終えると、次に監督としてやって来たマウリツィオ・サッリのもと中心選手としての地位を確立していく。サッリは後にジョルジーニョをチェルシーに呼び寄せる。サッリとの出会いが、ジョルジーニョに頂点への道を切り開いたのだった。
話はナポリ時代の思い出から、スキップするような独特のPKの誕生秘話、チェルシーへの移籍、バロンドールへの秘められた思いへと続いていく。(全2回の2回目/#1から続く・肩書などは『フランス・フットボール』誌掲載当時のままです)
(田村修一)
僕のナポリ
(2013~14年シーズン途中に移籍をはたした)ナポリは想像を絶した。外出するには人々の目を気にして帽子を被り、顔を隠さなければならなかった。あそこはイタリアじゃない。まったく別の国だ。同じようなサッカーへの情熱が他の場所にもあるのかどうか僕にはわからない。ナポリのそれはまさに熱狂で、ナポリというクラブもナポリの街自体も僕は大好きだ。
移籍して半年でコッパイタリアに優勝(2014年)し、僕自身も力を発揮しはじめた。でもそのときに、生涯最悪の失態を犯してしまった。オフはアイスランドとブラジルでバカンスを過ごし、その間、まったくトレーニングしていなかった。次のシーズン前にチームに戻ったときに負傷をして、さらに怪我が重なってポジションを失ってしまった。監督(ラファエル・ベニテス)が僕をスタメンから外した判断は正しかった。とても残念なシーズンで、同じ過ちは絶対に繰り返さないと心に誓った。