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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
<バロンドール候補>「テクニックはすべて母から伝授された」CL、EURO二冠のUEFA欧州最優秀選手・ジョルジーニョが明かす過酷な少年時代
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/11/28 17:01
ナポリからの移籍先チェルシーでもボランチとして活躍するジョルジーニョ。2020−21シーズンに挙げた7得点は、すべてPKによるものだった
僕の父は不器用だった。だから彼はGKになった(笑)。ただサッカーは大好きで、気持ちは本ものだった。常に僕を支えてくれて、僕がテストを受けられるように国中のいろいろなところに連れて行った。僕の夢は彼の夢でもあったから、僕がそれを実現することを心から望んでいた。
母とサッカーの話をすると、いつも同じことを言われた。
「ゴール前では誰かにパスを出すのではなく、まずシュートを打つことを考えなさい」と。
僕のヒーロー
グスタボ・クエルテン(ローランギャロスを3度制覇したテニス選手)は僕と同郷で、キャリアにおいて母親が重要な役割を果たしたという点でも同じだった。グーガ(クエルテンの愛称)は国民的な英雄だけど、同じ地域の出身である僕らにとってはそれ以上の存在だった。彼の絶頂期は僕が10~12歳のころで、家のテレビで彼の試合を見てはプレーを真似ていた。そうやって見ていた選手がテニスの伝説になるのは本当に凄いことだった。彼がある世代の子供たちに大きな影響を与えたように、僕も彼から多大な影響を受けた。自分にこう言い聞かせた。
「サンタカタリーナ出身の若者にあれだけのことができるのだから、僕にも同じことができないハズがない」と。
僕のホームシック
イタリアではまずエラス・ベローナに入団した。朝、学校に行き午後は練習、夜に寄宿舎に戻る。寄宿舎の半分は神父たちの住居で、もう半分がキエーボとエラスの若者たちの住まいだった。当時の僕は学生ビザしか持っていなかったから、公式戦に出場することができなかった。だから週末はやることがなかった。
部屋では5人の仲間たちと寝起きしていた。週に20ユーロの小遣いをもらっていて、それでいつもスクラッチ式のテレホンカードを買う。他にも歯磨きや石鹸、デオドラントなどの日用品を買って、両親や友達と話すためにネットカフェに出かけた。それだけやっても少しお金が残ったときはマクドナルドでシェイクを飲んだり、ブラ広場(ベローナの中心にある観光地)で道行く人びとを眺めていた。そんな生活が1年半続いた。