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「くまのプーさんみたい」なのに人類最強だった皇帝ヒョードル カメラマンが見た“60億分の1”のリアル「氷の拳で背筋が…」 

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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photograph bySusumu Nagao

posted2021/11/07 17:01

「くまのプーさんみたい」なのに人類最強だった皇帝ヒョードル カメラマンが見た“60億分の1”のリアル「氷の拳で背筋が…」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

「ロシアン・ラスト・エンペラー」という異名でも知られたエメリヤーエンコ・ヒョードル。どんなときも冷静沈着な“60億分の1”の男は、MMA界のパウンド・フォー・パウンドとして君臨した

 1ラウンドからヒョードルは前に出て攻めていくが、動きに往年の切れがない。パンチを被弾する場面も多く、体格差によるスタミナ切れも感じる。2ラウンドにはマウントを取られて、顔面にパンチの連打を受ける。出血と腫れによるダメージが痛々しいが、ヒョードルは何とかゴングに救われた。私はこんな彼を見るのはもちろん初めてで、3ラウンドはかなり厳しい状況になると思った。ヒョードルが勝つパターンをシミュレーションし、その瞬間を逃さないように準備していた。その矢先、ラウンド開始前にドクターが試合を止めた。ヒョードルの右眼が完全に塞がっており、これ以上の試合続行は不可能だった。

最強の座を手放し、皇帝は引退への道を歩む

 試合後に両者のインタビューが行われ、ヒョードルがロシア語で言った言葉を、通訳が英語で伝えた。

「Time to leave(去る時がきた)」

 あの強いヒョードルが、ついにその時を迎えたのか……。

 試合に敗れた選手のコメントは、何度も聞いてきたが、このときほどショックだったことはない。その言葉の響き、もの哀しいヒョードルの顔は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。

「世界最強の位置に自分はもう戻ることができない」

 ヒョードルはそう自覚したのだ。彼の表情が、その思いと決意の重さを物語っていた。この場に立ち会えたのも、格闘技を撮り続けてきた、ひとりのカメラマンとしての運命なのかもしれない。

 2012年6月、ヒョードルはサンクトペテルブルクで、プーチン大統領らに見守られながら引退。最後の試合も彼らしいパウンドでKO勝ちだった。その後はロシアのスポーツ省の要職に就き、ソチオリンピックの聖火ランナーなども務めた。2015年大晦日、RIZINの旗揚げ戦で現役復帰するが、「人類最強の男」と呼ばれた最盛期の動きには程遠かった。

 2019年にヒョードルは再び引退を表明。ベラトール(UFCに次ぐメジャー団体)と3試合の引退ツアーを契約し、その年末には日本での引退試合を行った。しかし、コロナ禍の影響で引退ツアーは一時的に延期。今年の10月、モスクワでの引退試合があり、見事なKO勝ちを見せた。最後の引退試合に関する正式な発表は、まだない。

「スパシーバ、エメリヤーエンコ」

 私はヒョードルの最後の試合には、是非とも撮影に行きたいと思っている。撮りたい写真は一つだけ。

 引退の花道を笑顔で引き揚げてゆく姿。

 もちろん私は「スパシーバ(ありがとう)、エメリヤーエンコ」と連呼しながら、ヒョードルの最高の笑顔の写真を撮るつもりだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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