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「くまのプーさんみたい」なのに人類最強だった皇帝ヒョードル カメラマンが見た“60億分の1”のリアル「氷の拳で背筋が…」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2021/11/07 17:01
「ロシアン・ラスト・エンペラー」という異名でも知られたエメリヤーエンコ・ヒョードル。どんなときも冷静沈着な“60億分の1”の男は、MMA界のパウンド・フォー・パウンドとして君臨した
ヒョードルの「渾身の一枚」を求めて
ヒョードルは、撮影する側としては、絵になりにくい選手である。喜怒哀楽がはっきりして、その感情をむき出しにする選手の方が撮影しやすいのだ。当時はPRIDEの人気がピークで、一般誌でも格闘技特集を組むことが多かった。私も本誌『Number』で仕事をしていたのだが、「他誌では見たことのない表情を撮影してほしい」という依頼があった……。
私は無表情のヒョードルから、情感溢れる写真を撮影したいと考えた。私の狙いは「勝利に微笑むヒョードル」を撮影すること。リング上では他のカメラマンも同じような写真を撮るだろうから、チャンスは花道を引き揚げるときだろう。通常、スチールカメラが花道を追いかけて撮影することは禁止されている。生中継しているテレビカメラの邪魔になるからだ。私は事前に団体の許可を得て、花道での追っかけ撮影ができることになった。
しかし、問題はどのようにしてヒョードルの表情を引き出すかだ。彼は英語を話さないし、私はロシア語を話すことができない。知っているロシア語は「ハラショー(素晴らしい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ダー(はい)」だけ。この3つの言葉だけで、大歓声の中、はたして私は控室へ戻る笑顔のヒョードルの写真を撮れるのだろうか。
試合当日、ヒョードルが勝ち、花道を引き揚げてゆく。私も彼を追いかけて先回りするが、テレビカメラが真正面に張り付いており、撮影できない。ヒョードルは花道右手の観客の声援に応えて、左手の観客にも挨拶しようとしたその瞬間、テレビカメラが追い切れずに正面のスペースが空いた。私はすぐさまヒョードルの真正面に入り、大声で「エメリヤーエンコ、ハラショウ!」と連呼した。彼がカメラを見て微笑む、渾身の一枚が撮れた。
「氷の拳」が風を切って目の前に……
私がリング外のヒョードルを撮影したのは数回だけだが、いつも物静かで穏やかな印象しかない。趣味は絵画と読書。取材の受け答えも丁寧で、言葉を選んで話をする。試合中に彼が発する、冷酷で青白い炎のようなオーラは感じず、選手というよりは、まるで哲学者のような、人間としての奥深さをもつ人だった。