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「そりゃあないぜタツノリ…」“球団史上最も勝った監督”原辰徳に巨人ファンの冷めた空気…なぜズレが生まれた? 問題は原巨人の“負け方”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byNanae Suzuki
posted2021/11/04 17:05
63歳の原監督は通算1152勝。球団史上最も勝った監督になった
月が変わってもツキはなく、6月5日には打撃不振の丸佳浩の二軍再調整が決まり、10日オリックス戦で死球を受けた吉川尚輝も左手中指骨折でスタメンから名前が消えた。主力が立て続けにいなくなる異常事態に、こんな時こそ助っ人の力が必要だと思ったら、衝撃的な事件が起こる。交流戦終了後の17日、コロナ禍で家族が来日できないことを理由にスモークが電撃帰国してしまうのだ。煙のように消えてしまった左の大砲。ちなみに本件とは全然関係ないが、藤岡弘と水沢アキが遠征中の新幹線で消息を絶ったナインを追跡する78年放送の日テレドラマは、『消えた巨人軍』である。
令和の消えた巨人軍現象はまだ止まらない。再調整を繰り返したエース菅野の状態は上がらず、助骨骨折が判明したセットアッパーの中川皓太とともに五輪代表を辞退する。8月には日本ハムから緊急トレードで、同僚への暴行問題により出場停止中の中田翔を獲得するも機能せず。後半戦に原監督が「最後のとりで」と救世主を期待した新外国人のハイネマンは、打率.160、本塁打なしという成績で体調不良のため9月末に帰国。日替わりスタメンの得点力不足に泣いた夏の終わり、ブルペンでは32試合連続無失点と覚醒した剛腕ビエイラの右肘違和感での離脱も響いた。
問題は原巨人の“負け方”
結果的に主力陣が故障や不振に立て続けに襲われ、それをカバーすべく新外国人、FA、トレードとあらゆる補強策が空回りして、原巨人は力尽きた。原監督3度目のV3ならず。もちろん勝負事は永久に勝ち続ける事は不可能だ。いつかは負ける。ただ、問題はその負け方だ。第一次、第二次、第三次政権と原監督が率いるチームは、緊張の糸がぷつりと切れたような無惨な負け方をすることが多々ある。
19、20年とリーグ連覇するも、ソフトバンクに対して2年連続での日本シリーズ4連敗は記憶に新しいし、第二次後期も14年のCSファイナルで阪神に4連敗を喫したり、15年も極度の貧打に喘ぎ終盤は力尽きるようにV4を逃した。基本的に原野球は補強を繰り返し、常に選手にハードな競争を促す。お前さんたち、立ち止まったら終わりだよ……的なカンフル剤を打ち続けて組織に刺激を与えながら突っ走る勝ち方なので、時間の経過とともに選手も(ファンも)疲弊してヘロヘロに息切れしてしまう印象だ。