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「一番うまい鳥谷が一番、一生懸命に練習している」 恩師が称えた早大・鳥谷敬21歳… ずっと変わらない凄さと原点とは《引退》
posted2021/11/01 17:01
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
Sankei Shimbun
早稲田大学野球部を長年見てきた人にとって、10月31日は様々な思いが去来する日となっただろう。
雌雄を決する早慶戦は3-3のドローに終わり、ライバル慶應義塾大学に優勝を譲ることになったものの、徳山壮磨らの熱投にテレビ越しながら熱いものがこみあげてきた。そんな早慶戦のゲストとして斎藤佑樹が訪れていた。彼が神宮球場の夕日に照らされて、早慶戦で有終の美を飾ったのは2010年秋。もう11年前である。
そこからさらに遡ること7年前の、2003年秋。東京六大学野球のメーンキャストとして君臨していたのが、背番号1をつけたショートストップ鳥谷敬だった。
その鳥谷が、今シーズン限りでの引退を決断したと所属する千葉ロッテから発表されたのは、早慶戦終了から数時間後だった。
「試合に出続ける」というアイデンティティ
「この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間すべては周りの人の支えがあってのものです。皆さまの支えと応援のおかげで試合に出続けることができて、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」
千葉ロッテの公式サイトで掲載されている、鳥谷のコメント後半部分だ。
試合に出続けること。この表現こそ、鳥谷の鳥谷たる所以だったのではないかと感じる。
早大時代、鳥谷のプレーは「ああ、こういう選手が“ドラ1候補”って言うんだな」と、素人目に見ても一発で分かった。
4年間の六大学での通算成績は打率.333、11本塁打、115安打、71打点。2年春には史上最速タイでの三冠王に輝いた。
すべてにおいて高水準な成績が象徴するように、とにかく走攻守のあらゆる局面でチームの勝利に貢献するプレーが印象的だった。
2年生以降は「3番ショート」は背番号1とともに、鳥谷の代名詞になった。バッターボックスに入れば広角に打ち分けるミート技術で、田中浩康と青木宣親の1、2番コンビをホームへと返す。相手バッテリーのマークがきつければ、プロ通算でも歴代14位の1055四球をマークした抜群の選球眼で確実に出塁し、勝負どころの盗塁でチャンスを拡大する。
守備でも時に同学年のサード比嘉寿光のポジションが狭く錯覚してしまうほどの守備範囲と強肩でアウトを積み重ね、通算失策も6だけだった。
そして何より、大学の4年間で計8シーズン96試合出場。「出続ける」ことでの貢献度の高さは群を抜いていた。