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「一番うまい鳥谷が一番、一生懸命に練習している」 恩師が称えた早大・鳥谷敬21歳… ずっと変わらない凄さと原点とは《引退》
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/01 17:01
早大時代から“練習の鬼”だった鳥谷敬。そのストイックな姿勢が、遊撃手として歴代最長となる667試合連続フルイニング出場、歴代2位の1939試合連続出場という大記録につながった
プロ入り後、阪神タイガースでの安定したプレーの数々や、「鳥谷がスタートしているぅーーーーー!!」の実況が特大のインパクトを呼んだ《2013年WBCでの伝説の盗塁》などを中継で見るたびに「これが早稲田時代から一貫しているプレースタイルだよな」と何度も再確認した。
それもこれも、鳥谷自身が「ケガに強かった」からこそ。2017年に顔面にデッドボールを浴びた翌日、鼻骨を折りながらもフェイスガードをして代打出場する姿はその象徴と言えるだろう。
瞼に焼きついた東伏見での練習風景
「出続ける」という表現で脳裏をよぎるのは、鳥谷らが早大野球部に所属していた頃の野村徹監督の言葉である。
野村監督を取材する機会に恵まれたのは2003年。学内新聞「早稲田スポーツ」の、いわゆる「番記者」というものだ。当時、最上級生となった鳥谷はプロ注目となっており、スポーツ紙のアマ担当記者などにも多く囲まれ、若輩者にはなかなかコメントを聞くのが難儀だと思っていた。なおかつ阪神ファンならご存じかもしれないが――試合中・試合後の鳥谷は非常にクール。決してコメントが多いタイプではないと感じていた。
ならば、むしろ指揮官の言葉から、鳥谷敬という選手がどんなプレーヤーなのか知ってみたい。それとともに野球を勉強したいという思いも含めて、ほぼ毎週末、神宮球場の通路で話を聞かせてもらっていた。
そんな野村監督との対話で心に残っているのが春季リーグ開幕戦、取材後での雑談である。
「(早大野球部の練習場である)東伏見球場の横に、練習場がありますわな。その練習場にこそ、鳥谷の凄さが詰まっているんよ」
その言葉がずっと気になっていた。それを確かめる機会に恵まれたのは、のん気に学生生活を過ごしていた夏場だった覚えがある。
大学から徒歩20分の高田馬場駅から、西武線の準急でさらに20分ほど。早大の体育局各部の練習場が数多くある東伏見では、体育の授業が実施されている。当時私はサッカーなどの授業を取っていたわけだが、野村監督の言葉を思い出して夕暮れの室内練習場付近へと寄り道したことがある。
窓は少ししか開いておらず、公開練習ではないため――全貌はわからなかった。ただ確実に、鳥谷が一心不乱に汗を流し、トレーニングに打ち込んでいた姿だけは、はっきりとこの瞼に焼き付いている。
2003年秋、早大は“無敵”のチームだった
その姿に触発されたのは、チームメートたちだった。それは2002年と2003年の成績を見れば、ハッキリと分かる。
2002年はエース和田毅の獅子奮迅のピッチングを軸に、春秋連覇を果たしたチームだった。打線は和田の一学年下である鳥谷が中心となりつつ、そして3年春からレギュラーをつかんだ青木らが成長したものの、その年は「やや投高打低」のチームだった(鳥谷は春の早慶戦、逆方向の左中間にホームランを叩き込んでいるのだが)。
しかし翌2003年は、1番~6番打者までの全員がプロ入りする、超強力な「稲穂打線」へと変貌する。春季リーグでは同連盟の記録を更新する「チーム打率.347」という超ハイアベレージ打線が猛威を振るった。