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《NHK→報ステキャスター》大越健介が語る“直情径行型”だった東大エース時代「三振をとったら、『うりゃ!』みたいな」

posted2021/10/31 11:03

 
《NHK→報ステキャスター》大越健介が語る“直情径行型”だった東大エース時代「三振をとったら、『うりゃ!』みたいな」<Number Web> photograph by Wataru Sato

『報道ステーション』メインキャスター・大越健介さん。東大エース時代は“直情径行型”だった!?

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田中仰

田中仰Aogu Tanaka

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Wataru Sato

10月からテレビ朝日系報道番組『報道ステーション』のメインキャスターを務める大越健介さん。学生時代は東京大学野球部のエースとして活躍し、大のスポーツファンで知られる大越さんにインタビュー。前編では、自ら“直情型だった”と振り返る東大野球部時代の思い出や、投手とキャスターの共通点などについて語ってもらった。(全2回の前編/後編へ

「中学3年の春にイップスになったんです」

――岸田文雄首相が「報道ステーション」に出演した際に野球のお話から会話を始めたように、大越健介キャスターといえば、「野球好き」のイメージがあります。大学時代は「東大野球部のエース」として活躍したわけですが、最初からピッチャー一筋ですか。

大越 子どもの頃からピッチャーでしたね。球は遅かったんですが、制球力はそこそこでした。ただ、中学3年の春にイップスになったんです。ストライクが全然入らなくなって、16球連続ボールで押し出しを記録したこともありました。それを見かねた監督が、私をキャッチャーにコンバートしてくれて。だから、新潟高校に入学した当初もキャッチャー。バッティング投手を志願して務めながらなんとか制球力を取り戻して、3年生が引退した後の2年夏に再び投手に戻りました。

――新潟高のエースとして出場した最後の夏は準々決勝で敗退。引退後すぐに大学受験モードに切り替えられましたか。

大越 高校最後の試合はコールド負けでした。野球の練習って長くて、辛いじゃないですか。だから、負けた瞬間はもういいかな、と思った。でも翌日起きてみたら、あれ、やっぱり野球やりたいなって。結局のところ野球が大好きだったんですね。

 徐々に六大学で野球をやりたい気持ちがふつふつと湧いてきて。とはいえ、私が活躍できる大学となると、変な言い方をすると「東大しか」なかった。早稲田や慶應といったほかの六大の野球部に入って、そこで活躍している姿はまったく想像できませんでした。もっとも、高校3年まで野球漬けの日々だったので成績的には絶望的でしたが、なんとかなるんじゃないか。現役は東大だけ受けて落ちましたが、一浪すれば砂漠が水を吸い込むように成績も上がるんじゃないか、という根拠のない自信はありました。

浪人中の息抜きは「過ぎ去った高校時代の妄想です(笑)」

――浪人中、野球はやりたくなりませんでしたか。

大越 それはもう、毎日のようになってましたよ。東大(本郷)の近くに下宿を借りていたので、よく野球部の練習を見に行ってましたね。あとは“妄想”で気持ちを落ち着けていました。

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