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松坂大輔「メディアに出る前にみんなに伝えたかった」引退発表30分前に届いたLINE…5人の同級生が見た“スーパースター”の去り際
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/22 11:04
2021年10月19日、引退試合のマウンドに上がった松坂大輔。横浜高同級生は“ヒーロー”の去り際をどう見たのか−−
「いつかこの日がくるだろうと思ってはいたけど…」
ここ数年、松坂と頻繁に会っていた常盤良太は「あのLINEね。うーん。どうなんですかね……」と言った後、沈黙してしまった。
「いつかこの日がくるだろうと思ってはいたけど。コロナじゃなかったら会ってそういう話もできたのに。話も聞いてやれなかったことが……。マツ、一人で決めたのかなと思って」
大竹と同様、常盤も松坂と親しい間柄だった。それがここ2年、コロナ禍で食事も行けなくなっていた。昨年7月の脊椎内視鏡頚椎手術のあと、少しだけ話をした。
常盤「術後、どうなの?」
松坂「あんまよくねえな」
右手の痺れや、肩ヒジの痛みがあり、腕が上がらないそうだ。その後、常盤自身が思っていた以上に、松坂の体がボロボロだということを知った。とんでもないことになっている……。そんな松坂の状況を知らずにいた自分を悔いた。
思えば、15歳の時。帝京高校に行くかどうかで揺れている松坂を「一緒に横浜高校に行こうぜ」と誘ったのが常盤だった。それ以来、その「責任」のようなものを感じ、常盤はいつも松坂に対して率直な思いを伝えられる立場でありたいと思っていた。
横浜−PL学園戦の延長17回、疲れてぐったりしている松坂の肩を叩いて「俺が絶対打ってくるから!」と打席に向かい、勝ち越し2ランを打った。あの時のように何かしてやれることはないのか。見つからない。それが悔しかった。
15年前の松坂を「天井のないスーパースター」と言った大竹も「歳には勝てないか……」と声を落とした。
「マツはそれでも、がむしゃらに生きようとしていたよね。そのことが今回の首のケガにつながったのかな……。でも、マツは這いつくばってでも頑張ろうとした。支えていたのは、周りの人への使命感だったんでしょうね」
高3夏の甲子園。イップスで打撃投手もできない自分が現地に行く必要があるのかと悩んだとき「いいから来い。お前がいないと無理だ。投げられなくても絶対来い」と怒りながらゲキを飛ばしてくれたのが松坂だった。「あの一言がなかったら、逃げる人生で終わっていた」。逃げないことも身をもって示してくれた。使命感を持って。凄いヤツだと改めて感じた。