酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
《元・巨人ドラ1のエリート》河原純一48歳は今、愛媛で何を? 「“しんどいからやりたくない”は通用しない」
posted2021/10/14 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
四国アイランドリーグplusの4球団で、5年と最も長く監督を務めていた愛媛マンダリンパイレーツの河原純一監督の退任が発表された。
河原は駒沢大から1994年のドラフト1位(逆指名)で巨人に入団、巨人、西武、中日で先発、救援で活躍したのち、愛媛に投手として入団。以来10年、愛媛で活躍した。そんな河原にこれまでのキャリアと愛媛で今携わっていることなど、多岐にわたって話を聞いた。
巨人4年目で肩を痛め「本物のボールじゃない」
「僕は巨人に入団して4年目の開幕前に肩を痛めました。そこからは、試合に出てボールは投げているけど本物じゃないと思っていた。それまでは、打てるものなら打ってみろ、という気持ちがありましたから。入団当初の元気な状態の自分のイメージが、常に意識の中にあったんですね。強打者に対しても怪我をしていなかったら、そんなに苦手意識を持たなくて済んだのに、と思っていました。
最後に、中継ぎで中日の落合(博満)監督に使ってもらったときは正直、速球をホームベースの上に投げるのが怖かった。
でもだんだん『ピッチングはスピードだけじゃないな』と思うようになったんです。変化球と見極めがつかない投げ方だったり、あとは球質ですよね。速いだけじゃなく、それなりにスピンが利いて、バッターの手元に行っても球速が落ちないような球が打ちづらいんだろうな、とあらためて感じたんです」
2012年、河原は愛媛マンダリンパイレーツに入団。40歳を前に、若い選手に混じって野球をした。筆者はこの頃の河原をよく見ているが、130km/hそこそこの球速ながら、打者のタイミングを外し、空振りを奪っていた。“野球はパワーだけじゃないんだよ”と言っているような名人芸だった。
プロに行く選手と独立リーガーの「違い」とは
引退後は1年、松山市の会社に籍を置いたのち、2017年から愛媛マンダリンパイレーツの監督に就任した。
「最初は1年だけのつもりでした。一方であまりいろんなところを転々とするのは性に合わない。どうせやるなら、しっかり腰を据えて仕事したいとも思っていました。“もう一度NPB復帰”という気持ちもありましたが、自分が指導者としてやっていくためにはどういうことをしていけばいいのかを考えていた。いろいろ考える時間を貰った感じです」
その中で感じていたのは、NPBに行く選手と独立リーグの選手の「違い」だ。