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プライベートも削ってセブンズに身を捧げたが…「東京」に立てなかった男女2人のレジェンドが告白「複雑な思いで見ていました」
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNobuhiko Otomo
posted2021/09/08 06:00
ともに歴代最多キャップを誇る坂井克行(左)と中村知春。チームを牽引する存在だったが、本大会メンバーから落選していた
落選は実力不足だった。そう自分を納得させた中村だったが、目標としてきた五輪が目の前から消えた事実を受け入れることは難しかった。
代表発表から10日ほどたったところで、中村は大黒田裕芽とともにバックアップとして追加招集を受けた。チャンスはまだあるのか? だが熊谷の合宿でチームに合流した中村と大黒田は、合宿で連日行われたSDS(セブンズ・デベロップメント・スコッド)や男子チームとの練習試合のメンバーには名前を呼ばれず、ピッチ外でのフィットネスや線審を行っていた。チャンスがあるのかないのか分からない、宙ぶらりんな状態に、心は削られた。
「結局、私と大黒田は選手のサポート、心のケアを主にやっていたのですが……本当にいろいろな感情に襲われた数カ月でした。半年前にヘッドコーチはじめスタッフが代わった中で、もっと何かできるんじゃないかという思いも、もっと自分のことに集中したほうがと思うこともあった。
結果的には若いチームが経験不足のまま、ヘッドコーチとの共通認識も完全に作れないまま、大会に入ってしまった。若いリーダーには大変な負荷をかけてしまいました。ただ、私も正直、最後はどこをサポートしていいのか、どこまで踏み込んでいいのか分からなかった。結果も残念でした。ただ、それも含めてみな、貴重な経験をしたと思う」
これからのことは…まだ考えていない
これからのことは、まだ考えていないという。なにしろこの10年間、プライベートな時間も含め、ほぼすべての時間とエネルギーをセブンズに捧げてきた。それでいて、最後は完全燃焼する機会も得られなかった。
「ラグビーからすっぱり離れてしまいたいという思いもあります。ただ、リオのあと、5年間、女子ラグビー選手のセカンドキャリアを考えたり、社会貢献を含めた活動に足を突っ込んだりしたので、感情にまかせて手を引けないなあとも思う。ナナイロプリズム福岡を立ち上げた責任もあるし、もう少し、体が動く間はラグビーをしないと……と漠然と考えています。五輪は大きな目標だったけれど、女子ラグビーの価値を上げる手段は五輪だけじゃない。それは私自身がこれまで言ってきたことですから」
結果は無惨だったが、その過程には多くの学びがあったはず。最後の舞台に立てなかったレジェンドの独白からは、多くの教訓も読み取れる。
戦った者の胸にも、戦えなかった者の胸にも、ともに刻まれた悔しさは、きっと明日への糧になる。
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