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プライベートも削ってセブンズに身を捧げたが…「東京」に立てなかった男女2人のレジェンドが告白「複雑な思いで見ていました」
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNobuhiko Otomo
posted2021/09/08 06:00
ともに歴代最多キャップを誇る坂井克行(左)と中村知春。チームを牽引する存在だったが、本大会メンバーから落選していた
来年からはリーグワンが始まる。リーグ戦の時期はワールドシリーズとシーズンが重なる。東京五輪が終わり、今まで以上にセブンズには選手が集まりにくくなるかもしれない。だが「今回、練習試合で一緒にプレーした選手にはセブンズのポテンシャルの高い選手がたくさんいました」と坂井は言う。
リコーのメイン平、トヨタ自動車の福田健太、東芝の桑山聖生・淳生の兄弟、近鉄のサナイラ・ワクァ、三菱重工相模原のエピネリ・ウルイヴァイティ……。
「彼らはセブンズで世界のトップ選手になれる可能性を持っている。今回の結果は残念でしたが、日本のセブンズにはまだまだ可能性はあるんです」
坂井のセブンズ愛は、いささかも衰えていなかった。
「複雑な思いで見ていました」
中村知春は2012年以来まる10シーズン、リオ五輪と2度のアジア競技大会、2度のW杯などほとんどの国際大会を日本代表の主将として戦ってきた。その中村が、五輪開幕の直前に代表から外れた。
「五輪は複雑な思いで見ていました。もちろん、自分が目指していた舞台だったし、そこに立てていないことは悔しかったけれど、それ以上に、一緒にやってきた仲間が苦しんでいる、それを助けることができない。辛いとか悲しいとか悔しいとか、そんな感情を超えて、ただただ無力でした。これまでの時間すべてが無意味に思えました」
代表からの落選を告げられたのは6月の熊谷合宿、ある朝のミーティングだった。前日にセレクションマッチが行われ、全員の前でハレ・マキリHCから五輪メンバーの名前が淡々と読み上げられた。呼ばれたメンバーとコーチ陣はそのままバスに乗って練習へ向かった。10年間にわたりチームの心臓だった中村はなぜ五輪直前になって落選したのか。中村は、「チャレンジチーム」として出場した太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ東京大会(5月1~2日)後、マキリHCに「チームラグビーができていない」と指摘されたという。
「ハレさんが求める戦術は、とてもオーソドックスなものでした。ボールを動かして、大外のランナーをキッチリと余らせて、そこにロングパスを投げる。余らなかったらクロスに入って、内のランナーを使う。相手DFが上がってきたらシンプルにキックする。ただ、理にかなっている半面、ひとりひとりは勝負していないからなかなかボールは前に進まない。そして、日本女子の個々のスキルは世界的には高くない。太陽生命シリーズ東京大会でも、『まず勝たないと話にならないよね』と選手同士で話して臨みました。ただ、結果としては優勝できたけれど、ハレさんの評価は思わしくなかった」
マキリHCが着任したのは今年1月だった。16年リオ五輪後から指揮を執ってきた稲田仁HC(16年11月~17年7月は代行)がパフォーマンスマネージャーに退いての着任。マキリHCはそれまで男子セブンズのアシスタントコーチを務めていた。
「振り返ると、日本の女子選手の持っているスキルやフィジカル能力と、ハレさんの求めるセオリーとをすりあわせる時間が足りなかったと思う。選手たちは、どうやって世界と戦うかの前に、どうやってハレさんのラグビーを遂行するかに時間を使っていた気がします」