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プライベートも削ってセブンズに身を捧げたが…「東京」に立てなかった男女2人のレジェンドが告白「複雑な思いで見ていました」
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNobuhiko Otomo
posted2021/09/08 06:00
ともに歴代最多キャップを誇る坂井克行(左)と中村知春。チームを牽引する存在だったが、本大会メンバーから落選していた
難しいのは大会が始まってからも同じだ。今回、男子は初戦でリオ金メダルのフィジーと対戦。前半を14-12とリードしたが、結果は19-24の逆転負け。そして2戦目の英国には0-34、2日目のカナダにも12-36で大敗を喫した。
メダルの野望は消えた。主将・松井千士は「フィジー戦で食い下がったことで過信してしまった」と言った。坂井は続ける。
「リオのときも似た流れがありました。初戦で優勝候補のニュージーランドに勝って、次の英国に負けた。でも初日を終えた時点の僕らの気持ちは『ニュージーランドに勝った』という達成感が強かった。
実はこの日、面白いことがありました。豊島翔平が選手村で東海大相模、東海大の先輩にあたる柔道男子監督の井上康生さんを見つけて挨拶したようで。『ニュージーランドに勝ちました』と言ったんですが、康生さんから返ってきた言葉は『次の英国には負けたんでしょ』だったんです。最後は『でも、明日もあるんだよね、メダルを取れるように頑張ってね』と激励されて。豊島はめちゃめちゃ恥ずかしがってました」
その出来事は、8強進出のかかっていた2日目のケニア戦に向けて、チームを引き締める効果があった。チームの過信を食い止めた。翌日、坂井や豊島らリザーブに回っていた選手たちは、試合前のアップから意識的にチームを盛り上げ、惰性に陥らないよう努めたという。
直前の落選は「いい経験をしたと思う」
「今回、僕は代表には入れませんでした。もちろん悔しかったですが、実力が足りなかったことは理解しています。ヘッドコーチ(HC)の岩渕(健輔)さんは、世界に通用する武器を持っている選手をまず選ぶタイプ。その選手たちの持ち味を安定して引き出せなかったのだと思う。ただ、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、今回はすごくいい経験をしたと思う。セブンズの先輩の橋野皓介さんに言われたんです。『五輪に出た、直前で落ちた、その両方を経験したってすごいこと。この経験を次の世代に伝えていってくれ』と」
東京五輪が1年延期されてから、その橋野をはじめ多くの選手が代表候補を離れた。2020年をゴールと定めて過酷な合宿の連続に身を投じてきたベテランの多くが舞台を降りた。だが坂井はプライベートの時間も削り、セブンズに身を捧げ続けた。坂井の胸中にあったのは「セブンズが好きだ」という思いだった。それは、目標だった東京五輪の舞台に立てなかった今も変わらないという。
「五輪のためにセブンズをやってきたんじゃない。僕はセブンズの魅力、楽しさを多くの人に知ってほしくて、日本にもっと広めたくて、会社にもチームにもわがままを聞いてもらってやってきました。セブンズの楽しさも難しさも学んできた。もしも、まだ選手として評価されるのであれば、プレーを続けながら学んだことを次の世代に伝えたい」