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「寝ようとしても眠れず、時計を見ると朝4時」市川大祐“18歳のオーバートレーニング症候群”と気づいた恩師の過去とは
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byJFA/AFLO
posted2021/08/27 17:00
フランスW杯では落選したもののベンチ入りするなど、高い期待を受けた市川大祐。その翌年にオーバートレーニング症候群に陥った
史上最年少で代表デビュー、順調な歩みだったが……
「デビューした次の試合ぐらいでしたね。チームのマネージャーから“日本代表に入ったよ”と電話をもらったのは。当時は世代別代表に入っていたので、そのことを言っているのかなと思っていたんですが、A代表だと言われて。衝撃すぎて、自分に何が起きているのか分かりませんでしたし、“なんで僕なんですか?”と当時聞き返した記憶があります(笑)」
非現実的に感じながらも、呼ばれたからにはしっかりと爪痕を残さなければいけない、そんなプレッシャーも少なからず感じていた。
1998年4月1日、市川は韓国との親善試合で国際Aマッチデビューを果たす(ちなみに17歳322日の史上最年少記録は20年以上経った今も破られていない)。史上最年少で1998年フランスW杯のピッチに立つことを期待されたが、惜しくも直前で代表から外れた。
それでも同年にJリーグでは20試合に出場し、順調なキャリアを歩んでいた。そんな矢先に、思い描いていた青写真は、変更を余儀なくされることになる。
オフ明けの99年1月「とにかく体が重い」
オフ明けの99年1月。市川は学校の出席日数の関係で、トップチームの春季キャンプには帯同されず、清水に残ってユースの練習に参加していた。しかし、前年までのように体が思うように動かず、違和感を覚え始める。
「とにかく体が重くて、動きにキレがなかったんです。ただ、その時はまだ調子が上がっていないんだろうなという程度でしか捉えていませんでした」
一過性のものだと特に気にしていなかった。しかし、トップチームがキャンプから戻り、合流しても、調子が一向に上がってこない。それどころか、むしろ症状はひどくなっていった。
「住んでいた寮の3階の部屋まで階段を登るだけで息切れしていました。それにどんなに疲れていても、夜なかなか眠れないんです。神経が興奮した状態だったのかもしれません。
強引に寝ようとして目をつぶっても眠れない。時計を見ると朝4時になっていた、なんてこともありましたね。朝は6、7時に起きて食事を摂って練習に行かなければならないので、睡眠時間2、3時間でトレーニングしていたこともありました」
なぜこんな症状が続くのかまったく見当がつかなかった。
その原因は自分の怠慢なのでは、と責めたこともあったという。