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GII札幌記念(13年)を制したトウケイヘイロー…殊勲の陰に“運命を変えた”武豊のエスコート「安田記念に“除外”されたおかげで…」
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/08/20 17:00
2013年の札幌記念を制したトウケイヘイロー。鞍上には武豊
札幌記念の手応えから、香港、ドバイ、シンガポールへ
ちなみにこの時のトウケイヘイローは2番人気。1番人気に推されたのは3歳馬のロゴタイプ(牡、美浦・田中剛厩舎)だった。同馬はこの年の皐月賞馬で、日本ダービーは2番人気5着。その後、ここに駒を進めて来た。道中は好位に控え、トウケイヘイローにとってもやはり怖い存在になるかと思えた。
しかし、レースが進むにつれ、様相は一転する。重発表の馬場の上を軽快に逃げるトウケイヘイローに対し、他の馬達の手応えが徐々に怪しくなる。一完歩ごとに後続との差が広がると、4コーナーではすでにセーフティーリードと思える差ができた。実際、最後の直線でも後続に全く差を詰められる事なく、トウケイヘイローと武豊騎手はゆうゆうゴールに飛び込んだ。おりからの悪い馬場で勝ち時計は2分6秒5も要したが、2着のアスカクリチャンがゴールしたのはそこから6馬身も後ろ。3着のアンコイルドに至っては10馬身も離されてのゴールとなった。
「着差もあったし、最後まで余裕をもって見ていられました」
清水調教師がそう言えば、武豊騎手も異口同音に次のように語った。
「後ろを離しているのが分かったし、危な気ない勝ちっぷりでした」
また、この勝利に指揮官は次のようなプランも頭に浮かんだと後に語っている。
「この馬場をこなせるのなら、日本より重めの馬場の香港に連れて行くのもありかな? と思いました」
開業当初から、いずれ管理馬で海外のビッグレースに挑んでみたいという気持ちのあった清水調教師。実際にトウケイヘイローは後に香港、ドバイ、そしてシンガポールへも遠征した。そして、香港カップ(GⅠ)では2着と好走してみせるのだった。
厩舎にとっても初の重賞制覇をもたらした
話を札幌記念に戻そう。先述した通り、この前には函館記念も優勝していたトウケイヘイローだが、更にその前走では鳴尾記念(GIII)も制していた。つまりこの札幌記念で芝2000メートルの重賞3連勝を飾ったわけだが、同馬との出合いを清水調教師は次のように振り返る。
「人づてに紹介していただいたオーナーの持つ若馬を、北海道の牧場で見させていただきました。この時点ですでに2歳だったけど、馬っぷりが良くて、早い段階で仕上がると思える馬でした」
その馬こそ、トウケイヘイローだった。