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GII札幌記念(13年)を制したトウケイヘイロー…殊勲の陰に“運命を変えた”武豊のエスコート「安田記念に“除外”されたおかげで…」 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2021/08/20 17:00

GII札幌記念(13年)を制したトウケイヘイロー…殊勲の陰に“運命を変えた”武豊のエスコート「安田記念に“除外”されたおかげで…」<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

2013年の札幌記念を制したトウケイヘイロー。鞍上には武豊

 しかし、1400メートルでも行きたがる気性。2000メートルだと折り合いを欠いた結果、惨敗するシーンも頭に浮かんだ。

「そこで『どうしましょう?』とオーナーに相談したところ『使いましょう!!』という返事だったので、走らせる事にしました」

 つまり半ば仕方なく、2000メートル戦を使うことになったということだ。

「ここで惨敗するようならまた短距離に戻せば良いかな、くらいの気持ちでした」

「豊さんがトウケイヘイローのその後を変えてくれた」

 実際にスタートを切ると、序盤は2番手で追走した。

「短い距離でもカーッとして行ってしまう面のある馬なのに、さすが豊さんだと思いました。でも、その後に先頭に立ち、4コーナーあたりで後続に迫られた時は『やっぱり厳しいか……』って感じたものです」

 そんな調教師の不安を吹き飛ばすように、トウケイヘイローは粘りに粘った。そして、日本のナンバー1ジョッキーにいざなわれて真っ先にゴールへ飛び込んでみせた。

「豊さんがトウケイヘイローのその後を、全く違う方向へと変えてくれました」

 清水調教師は笑顔でそう言うと、この鳴尾記念の直後に天才騎手にかけたという言葉を教えてくれた。

「『次は函館記念へ行きましょう!!』とすぐに言いました」

 安田記念で除外になっていなければ、果たしてトウケイヘイローがどんな馬生を描いたのかは誰にも分からない。ただ、一つはっきりしているのは、そうなっていれば鳴尾記念から札幌記念までの連勝劇も、その後に続く海外遠征も、ましてや異国のGⅠで2着に善戦することもなかっただろうという事。“人間、万事塞翁が馬”と言うが、馬も人間に負けず劣らず“万事塞翁が馬”なのだろう。

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