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なぜ王様ペレは「30歳で代表引退」「背番号10を特別な番号」にしたのか… ブラジル人重鎮記者だからこそ知る“天才性” 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2021/08/16 11:01

なぜ王様ペレは「30歳で代表引退」「背番号10を特別な番号」にしたのか… ブラジル人重鎮記者だからこそ知る“天才性”<Number Web> photograph by Colorsport/AFLO

ジュール・リメ杯を手にするフットボール界の王様ペレ。デビュー当時からよく知る重鎮記者に語ってもらった

15歳でサントス入団、翌年には得点王、17歳でW杯制覇

 1956年、15歳のとき名門サントスの入団テストを受けて合格。すぐにトップチームに上がり、翌1957年のサンパウロ州選手権で17点を奪って得点王に輝く(以来、9季連続得点王)。この年の7月、16歳6カ月でブラジル代表に初招集され、アルゼンチン代表との試合に途中出場していきなり得点を決めた。

 17歳で1958年のW杯スウェーデン大会の出場登録メンバーに選ばれ、4試合に出場してチーム最多の6点を記録。ブラジル初優勝の立役者となった。この大会を含めて1970年までのW杯4大会に連続出場し、3大会で優勝。サントスでも、1962年から2年連続でクラブ南米王者、世界王者に輝いた。

 サントスには1974年まで19シーズン在籍し、1975年から1977年までニューヨーク・コスモスでプレーした。キャリア通算で1367試合に出場し、1282得点を記録したとされる。

「全盛期に惜しまれながら去りたいんだ」

 そんなペレが、1971年、まだ30歳だったのにキャリアの下り坂を迎えていたのだろうか――。その点を、マリオ・ネットに尋ねた。

「とんでもない。まだまだ素晴らしいプレーをしていた。

 セレソンから引退する理由について、ペレ本人は『全盛期に惜しまれながら去りたいんだ』と語っていた。祖父がペレと親交があったので、私は子供の頃からペレを知っている。素直で飾り気のない性格だが、あれだけの選手だから当然、プライドがある。惜しまれるうちに去るべきだ、と考えたのだろう。

 私もせめて1974年W杯まで代表でプレーしてほしいと思っていた。しかし、彼の心情も理解できる」

 一体、ペレはどこがどのようにすごかったのだろうか。

「まず、登場の仕方が衝撃的だった。15歳で名門クラブに入団してたちまちレギュラーになり、16歳で代表入りして、17歳でW杯に出場して大活躍を演じ、セレソンを初優勝に導いた。

 とてつもない数の得点を決めたわけだが、記録もさることながら、プレーが美しかった。完璧なテクニック、決して大柄ではないが驚異的な身体能力を備え、誰も想像だにしなかったプレーを平然とやってのける――。そんな選手はブラジルのみならず世界のフットボールの歴史に存在しなかったし、今後もまず出てこないのではないか」

【次ページ】 イングランド発祥の競技を南米のスキルで改革した

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