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現役引退・大迫傑30歳とは何者だったのか? 「マラソンエリート」が常に“挑戦者”であり続けた理由
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byNanae Suzuki/JMPA
posted2021/08/10 17:03
8月8日、東京五輪男子マラソンにて現役ラストレースを迎えた大迫傑
環境に甘んじず、さらに上を目指すのも大迫だった。そのためには、監督であろうと先輩であろうと、自らの意見を伝える強さがあった。
早稲田大学時代には駅伝に出たくないと監督に直訴したこともあったし、故障をきっかけに帰省をしようとする部員を諫めたこともあった。
「故障をしていてもできる練習はたくさんあるんだから、帰るべきじゃないと言った気がします。『大迫には僕の辛さはわからないよ』と言われこともありました(笑)。入学したときは同じぐらいの実力だった選手と、なぜ差がつくのか。それは自分がダメな時に頑張れなかったからだと僕は思うんです。いつもと同じことはできなくても、できる範囲の努力をし続けることで差をつけられる。差がついたことに気づいて焦っても、もうその溝は埋められない。手遅れなんです」
「ストレスを避けて大きな結果を出せるほど、甘い世界ではない」
なぜ速くなるための努力ができないのか――。
強すぎる思いや歯に衣着せぬ物言いは、集団の中で浮くことも多かった。
実業団を1年で辞め、ナイキ・オレゴン・プロジェクトに加入すると決めたときもそうだ。
日本のシステムを飛び出し、独自の道を進もうとする大迫に対して「通用するはずがない」「すぐに帰ってくるだろう」という声は少なくなかった。
だが大迫が着実に力をつけていくと、今度は誰もがその練習方法を知りたがった。
「ものすごく科学的な練習をしているのではないかと言われることもあるけれど、そんな道はなくて。ただひたすらに走って、ハードな練習を積むだけです。結局みんな『それぐらいの距離を走ればいいんだ』って安心したいだけじゃないですか?」
実際にその練習を目の当たりにすると、誰もがそのハードワークに驚く。練習の多さで知られるGMOアスリーツの吉田祐也選手でさえ、高地トレーニングに参加した当初は体調を崩した。