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清原和博「思った通り一流や」&長嶋茂雄「彼は野球界を変える人間」 22年前の松坂大輔(18歳)はプロ野球の救世主だった
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/07/17 17:03
1998年度のドラフトで日本ハム、横浜ベイスターズ、西武ライオンズの3球団が競合の末、西武が交渉権を獲得。直後の会見では「意中の球団は横浜でした」と語ったが、西武へ入団した
「もう一度、車から降りてくるところからやり直してください」「あっ、ハイッ」なんつってまるでコントのようなカメラマンからの要望に応える18歳。あまりの混雑ぶりに職員6人が休日返上で対応にあたった。
2月のキャンプイン後もその喧噪はさらに加速する。高知空港での歓迎セレモニーにはパトカー2台、警察官6人、さらには空港ビルのガードマン6人も緊急配備されたが、松坂は送迎バスに乗り込む際にファンやマスコミからもみくちゃに。高知市内の西武百貨店では、サイン入りの限定テレフォンカードを初日2時間で120枚を売り切った。11日に風邪を引き腸炎でダウンするが、医師から指示されたおかゆではなくピザをパクついているところを見つかり東尾監督からは大目玉。しかし、14日のバレンタインデーでは西武史上最多の1200個のチョコがキャンプ地に届き同僚選手の度肝を抜いた。
清原vs.松坂「思った通り一流や」
『週刊ポスト』の企画で金田正一の直撃を受け、「で、先輩からのイジメはないか?」なんてカネヤンのド直球質問には、「先輩たちには本当によくしてもらってます」とニッコリ大人の対応。移動の際にファンが多すぎて、他の投手が18番ユニを着て影武者になるフィーバーが続く中、実戦デビューは2月28日の春野球場、野村克也新監督率いる阪神戦だ。1万3000人の大観衆でスタンドは埋まり、1回は三者凡退、2回に大豊泰昭から一発を浴びるも後続を抑え、2回1失点3奪三振でまとめた。3月11日の巨人戦(西京極)では4回を投げて8失点の炎上も、バッテリーを組んだ伊東勤に「つかみました」と言ってのけたという。
3月20日、屋根がついた西武ドームのオープニングを飾る「サントリーカップ西武vs巨人」が行われ、雨にもかかわらず4万3000人のファンが押し寄せる。お目当てはもちろん、ゴールデンルーキーだ。5回二死、打者・清原和博の場面でマウンドに上がり、東尾監督の演出でいきなり実現した松坂vs清原の怪物対決。サードゴロに打ち取られたキヨマーは「思った通り一流や。いい雰囲気を持っている。楽しかった」と素直に相手を褒め、ベンチから見守った長嶋茂雄監督は「彼は野球界を変える人間。どうしてもファン的な目で見てしまうんですよ」となんだかよく分からないがテンションの高いコメントを残している。
オープン戦5度目の登板は、ローテ最終テストと注目された3月28日の横浜戦だ。18番は、前年の日本一チームが誇る“マシンガン打線”を6回1失点11奪三振に抑えたが、高卒新人投手のオープン戦2ケタ奪三振は史上初めてのことだった。この試合後、監督室に呼ばれ「一軍で使える」と告げられる。
「155キロ、興奮したでしょう?」「当然のことです」
時は来た。松坂大輔のプロデビュー戦は99年4月7日、東京ドームの日本ハム戦に決定する。