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清原和博「思った通り一流や」&長嶋茂雄「彼は野球界を変える人間」 22年前の松坂大輔(18歳)はプロ野球の救世主だった 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/07/17 17:03

清原和博「思った通り一流や」&長嶋茂雄「彼は野球界を変える人間」 22年前の松坂大輔(18歳)はプロ野球の救世主だった<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1998年度のドラフトで日本ハム、横浜ベイスターズ、西武ライオンズの3球団が競合の末、西武が交渉権を獲得。直後の会見では「意中の球団は横浜でした」と語ったが、西武へ入団した

 堤義明オーナーは開幕第2戦目の西武ドームでのデビューを望んだが、東尾監督は西武グループのドンの意向にあえて逆らった。東京ドームの傾斜があるマウンドが、体を沈めてウエートをしっかり左足に乗せる18番には合うとこの日を選んだのだ。1回裏二死、三番・片岡篤史に投げた真ん中高めの155キロの直球は、体勢を崩しながらフルスイングで応えた片岡の空振りとともに、平成史の記録映像としてその後繰り返し放送されることになる。6回一死までノーヒットノーランに抑え、小笠原道大に初安打と2ランアーチを浴びたが、8回5安打9奪三振の2失点でデビュー戦を白星で飾った。この夜、TBSのニュース番組に生出演した松坂は筑紫哲也キャスターから「155キロ、やはり興奮したでしょう?」と聞かれ、「自分としては当然のことですから」と堂々と答えてみせた。

背番号18が投げれば「チケットが4倍売れる」

 衝撃の155キロデビューから1週間後、4月14日近鉄戦の本拠地初登板には、徹夜組も含む4万2000人が集結する。これは4月の平日ナイターでは西武球場時代からの最多で、テレビ朝日も緊急中継を決めたほどだ。2戦目でプロ初黒星を喫するが、“いてまえ打線”を3安打に抑えて完投、自責点は0(失点2)の堂々たる内容だった。当時の『週刊ベースボール』では「検証 松坂効果」という特集が組まれており、ゴールデンルーキー登板日の凄まじい集客力を報じている。

・4月7日 日本ハム戦(東京ドーム)4万4000人(前日の同カード1万6000人)
・4月14日 大阪近鉄戦(西武ドーム)4万2000人(前日の同カード1万人)
・4月21日 千葉ロッテ戦(千葉マリン)3万5000人(前日の同カード8000人)
・4月27日 千葉ロッテ戦(西武ドーム)3万4000人(前日の同カード1万7000人)

 背番号18が投げればチケットが飛ぶように売れる。まだ球界再編前の集客に苦戦していたパ・リーグで本拠地だけでなく、対戦相手の球場も満員にしてみせた救世主。恐るべき18歳が球界の常識を瞬く間に変えてしまったのである。27日のロッテ戦は、午後6時に民報4局とNHKが夕方のニュース枠を使い一斉に松坂を生中継するという異常事態。しかも、この試合で背番号18はなんと3安打10奪三振のプロ初完封勝利をあげるのだ。前回登板で投げ負けた相手エース黒木知宏との再戦で、華麗なる「リベンジ」を果たす。これには黒木も「末恐ろしい? いやいや、もうすでに恐ろしいですよ、あの子は……」と脱帽した。

イチローvs.松坂「自信から、確信に変わった」

 しかし、5月3日の近鉄戦で右腕にアクシデントが襲う。

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