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「いまが引き際だぞ」「お金もいりません。もう1年やらせてください」“ミスター”長嶋茂雄37歳が頭を下げた夜
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2021/06/24 17:02
並んでポーズをとる巨人の王貞治(左)と長嶋茂雄。1970年撮影
「いまが引き際だぞ」「もう1年やらせてください」
まだ背番号1が一本足打法で開花する前、寝坊ばかりする王の部屋に窓から入り込み、寝ぼけ眼の後輩を急かしながらせっせと荷物をバッグに詰め込んでやったのはミスターだった。天下のONにもそんな時代があったのだ。4つ下の弟分はやがて打撃タイトルを争う存在になり、今まさに自分を完全に追い抜こうとしている。
そんな73年の熾烈なV争いの渦中、ミスターを思わぬアクシデントが襲う。10月11日の阪神戦でイレギュラーした打球が右手を直撃。右手薬指骨折で残りのペナントは欠場し、南海との日本シリーズもコーチとして一塁コーチャーズボックスに立った。この年「別冊少年ジャンプ」連載の「長島茂雄物語」第9回のタイトルは、「不死鳥よはばたけの巻」である。チームはフラフラになりながらなんとかV9を達成したものの、ペナント最終順位の2位阪神とはわずか0・5差。頼みの長嶋も37歳だ。巨人軍は、早急な世代交代を迫られていた。
その秋には、ついに川上監督から直々に「どうだ、今年限りでバットを置いて、わしのあとを継がんか」と事実上の引退勧告を受ける。報知新聞の記者陣がセッティングした日本一の慰労会を兼ねた夕食の席でのことだ。これに対し、「お願いです。もう1年、現役でやらせてください」と畳に手をつき頭を下げたと、自著『燃えた、打った、走った!』(中央公論新社)で生々しく振り返るミスター。自分は通算打率3割にこだわるよりも、バットマンとして最後の勝負をしたい、限界までやらせてください。そう現役続行への想いを語る長嶋に、リアリストの名将・川上はあえて「どうもがいても君にはもう3割は打てん。いまが引き際だぞ」と厳しい言葉を投げかける。それでも長嶋は引き下がらなかった。「打てないのは分かってます。もう1年バットを持たせてください。お金もいりません。名誉もいりません」と食い下がったのだ。燃える男は、まだ燃え尽きちゃいなかった。2000安打も400号も、記念球は一切手元に置かない主義。過去を振り返らず、明日に向かって打ち続けた野球人生である。そして、翌74年。長嶋茂雄はプロ17年目の「最後の1年」を迎えるわけだ。
(【後編を読む】「我が巨人軍は永久に不滅です!」「ナガシマァ~」涙、涙、涙…日本人にとって38歳長嶋茂雄の引退はどんな衝撃だったか? へ)
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