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「いまが引き際だぞ」「お金もいりません。もう1年やらせてください」“ミスター”長嶋茂雄37歳が頭を下げた夜

posted2021/06/24 17:02

 
「いまが引き際だぞ」「お金もいりません。もう1年やらせてください」“ミスター”長嶋茂雄37歳が頭を下げた夜<Number Web> photograph by KYODO

並んでポーズをとる巨人の王貞治(左)と長嶋茂雄。1970年撮影

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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KYODO

長嶋、王、バースから古田、桑田、清原まで……球界を彩った24人のスターたちは「最後の1年」をどう過ごしたのか? 去り際の熱いドラマを描いた『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』(新潮新書)が売れ行き好調だ。そのなかから、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の“現役引退”までを紹介する(全2回の前編/後編へ)。

「“神様”を超えた長嶋茂雄を裸にする」

 35歳にして首位打者に輝いたミスターに迫った、「週刊ベースボール」71年9月27日号の特集記事である。打撃の神様・川上哲治を超える史上最多となる自身6度目のリーディングヒッター。当然、専門誌の真剣なバッティング分析記事かと思いきや、よく読んでみると「おならも快調」とか「人の家でだまって昼寝する天衣無縫」なんて見出しが並んでいる。盟主・巨人軍の4番を打つミスタープロ野球にして、突っ込みどころ満載のエンターテイナー。

2万1000人→4万2000人 観客が倍増した

 ルーキーイヤーの1958(昭和33)年から国鉄の金田正一に4打席連続三振デビューや一塁ベース踏み忘れでホームラン取り消しのチョンボも、いきなり29本塁打、92打点で二冠獲得。何をしても絵になる燃える男は、天覧試合でサヨナラアーチを放った2年目から3年連続の首位打者。なお、ゴールデンボーイの出現で巨人の観客動員数は右肩上がりで上昇。入団前年の57年は約138万人(1試合平均2万1000人)だったのが、V9後期には約276万人(4 万2000人)と倍増した。昭和30年代から40年代にかけて、高度経済成長期に爆発的に普及したテレビの中で躍動した国民的スーパースターは、まさしくプロ野球の象徴だった。なのに近寄りがたさではなく、圧倒的な親しみやすさがある。立教大時代のミスターが隣席の人が持っている本に驚き、「凄い便利だね! その本、日本語訳が出てるんだ!」と絶賛したら、普通の英和辞典だった……的な逸話は数多い。みんな、そんな明るく元気な長嶋が大好きだった。

来季35歳、あの長嶋も永遠ではないのか?

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 実は6度目の首位打者を獲得する前年の70年シーズン、背番号3は3年連続打点王と2年連続の日本シリーズMVP(歴代1位の4回目)に輝くが、自己最低の打率・269で一時限界説も囁かれていた。70年9月20日のスポニチ一面見出しは「雨の多摩川で川上監督手とり足とり 長島、異例の特訓」と、3割復帰を目指し黙々と1時間打ちこんだ様子が報じられている。南海のエースを張った立教大時代のチームメイト杉浦忠も引退を表明した。来季35歳、あの長嶋も永遠ではないのか?

【次ページ】 「川上監督の後継者は長嶋しかいない」

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