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「短くて3カ月」父が余命宣告されるなか…ラトビアなど7カ国を渡り歩いた元浦和レッズ・赤星貴文が引退から1カ月で復帰したワケ
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGakunan F Mosuperio
posted2021/06/10 11:00
静岡県社会人1部・岳南Fモスペリオに入団した赤星
実家から「お父さんにがんが見つかった」と連絡が
「オランダには僕の友人もいましたし、そこで娘を育てていくのもいいかな、と。このときに一度引退を考えたんですけど、やっぱりまだやりたいという気持ちのほうが上回りました。ただ(プレー先がどうなるかは)全然分からない。ひとまずオランダに行こうということになって。到着2日後にオランダの空港もストップになりましたから、ギリギリ入れた感じでした」
オランダのアルメールに拠点を置き、語学に堪能な妻も仕事を始めることにした。到着から2週間後、富士にある実家から連絡が来た。
「お父さんにがんが見つかった」
咽頭がんでステージ4だという。言葉にできないほどのショックを受けた。だがコロナ禍で簡単に帰国もできず、プレー先も見つかっていない状況。抗がん剤治療、放射線治療などの経過を見て日本に戻るタイミングを探ろうとした。
オランダはEU外選手の最低年俸規定があり、2部でもハードルが高い。年齢の問題や、最終所属がアジアのなかでもACL本戦に絡んでこないリーグとなれば検討もされない現実があった。赤星は代理人をつけていない。自分のツテを使いながら“単身赴任”で周辺国やアジアにも範囲を広げたが、コロナ禍もあって具体的に進んだ話は1つもなかった。
余命は長くて1年、短くて3カ月
「オランダでほかの仕事を見つけなきゃいけないとも考えましたけど、やっぱりそれは現実的じゃない。体がなまるのも怖いなと思って、6部にあたる現地の社会人チームに入りました。だけど新型コロナの影響で開幕戦をやっただけで、後は中止に。チームの練習もできなくなりました」
アマチュアの社会人チームでは無報酬。妻が仕事をしてくれているとはいえ、貯金を切り崩しながらの生活だった。父の病気は常に気に掛けていたし、連絡も取っていた。治療を無事に終えたと聞き、ホッと胸を撫でおろした。プレーはできなかったものの、家族で過ごすオランダでの生活は充実していた。
その年の暮れ、再び実家から連絡が来た。父のがんが再発したという。そして余命が長くて1年、短くて3カ月だと告げられた。